株式会社Neyowell

「離婚届」を机に置いた日から始まった、夫婦の逆転ロード。実家の倒産、リストラ、そして「隠れ不眠」。絶望の中にいた夫婦が、耳の下を通るアイマスクを通して、もう一度“眠り”と向き合うまでの物語。

2026年01月26日

2008年、約束された未来の崩壊

2008年。リーマン・ショックという世界的な経済危機の波は、遠く離れた地方都市に暮らす一組の夫婦の人生にも、確実に、そして容赦なく押し寄せてきました。それは一瞬で何かを壊すというより、静かに、しかし確実に、これまで信じてきた「前提」を塗り替えていくような出来事でした。


梶川美紗(カジカワ・ミサ)にとって、広島への帰郷は「約束された安穏」への入り口であるはずでした。結婚前はアパレルショップの販売員として働き、洋服と接客に真剣に向き合う日々を過ごしていた彼女。人と話し、相手の気持ちを汲み取り、喜んでもらうことにやりがいを感じていました。

夫・真路(シンジ)は、広島で宝飾業を営む実家の跡取り。美紗さんは、「夫は家業を継ぎ、私は専業主婦として家庭を守る。広島なら実家もあり、子育ても安心できる」という、どこか古風ではあるものの、堅実で揺るぎない幸せの形を信じて疑いませんでした。


しかし、現実は、その想像を大きく裏切るものでした。広島へ戻って間もなく直面したのは、継ぐはずだった実家の廃業という事実。さらに追い打ちをかけるように、夫・真路も勤務先から雇用の継続が難しい旨を告げられます。


「広島に帰れば大丈夫だから」


その言葉を信じ、生まれたばかりの赤子を腕に抱いて移住した美紗さんの目の前に広がっていたのは、仕事も、継ぐべき場所も、将来を思い描くための材料さえも失われた、想像していなかった風景でした。

サラリーマンを捨て、背水の陣で挑んだ「正しい選択」


この状況の中で、夫・真路は人生最大とも言える決断を迫られます。もう一度、再就職先を探し、サラリーマンとして生きる道に戻るのか。それとも、何もない場所から、自分の足で立ち上がる道を選ぶのか。


真路氏が選んだのは、起業という険しい道でした。


その背景には、代々続いてきた家業が時代の流れの中で抗えず、静かに幕を下ろしていく姿を間近で見てきた経験があります。「誰かに人生のハンドルを握らせてはいけない。自分の責任で道を切り拓かなければ、家族は守れない」。その強い危機感が、退路を断つ決断へと彼を押し出しました。

とはいえ、決意とは裏腹に、生活は決して楽なものではありませんでした。職業訓練校に通いながら、失業保険と給付金で食いつなぐ日々。「半年から1年で結果が出なければ、生活そのものが破綻する」。そうした期限付きの現実と常に向き合う、文字通りの「背水の陣」でした。


そんな中で真路氏が取った経営戦略は、感情とは対照的に、極めて冷静で堅実なものでした。実家の倒産から得た教訓は、「身の丈に合わない博打はしない」「リスクの小さいことから確実に積み上げる」という一点に集約されていたのです。


親戚の縁を頼り、COACH(コーチ)などのブランドバッグを仕入れてネットで販売する。知名度があり、価格設定を誤らなければ一定の需要が見込める商材。「確実に売れる」という条件を最優先したこの選択が、どん底にいた二人の生活を、かろうじて支える現実的な土台となりました。

深夜の梱包作業と、机に置かれた「離婚届」


ネット通販の知識や経験は、二人ともほとんどゼロに近い状態でした。それでも、調べ、試し、失敗しながら、すべてを独学で積み上げていきます。実家の2階を作業場にし、未経験だった美紗さんが梱包や発送作業を一手に引き受けました。

けれど、その日常の裏側で、美紗さんの心は少しずつ、確実に限界へと近づいていきます。終わりの見えない発送作業、慣れない育児、夜中に鳴り止まない赤子の泣き声。生活は常に時間に追われ、休む余裕はありませんでした。


「なんで私、こんな人生になっちゃったんだろう」


ふとした瞬間に浮かぶその思いを、誰にも打ち明けられないまま、彼女は抱え込んでいきます。追い打ちをかけたのは、慢性的な「睡眠不足」でした。1日の睡眠時間は5時間以下が当たり前。心は常に張りつめ、些細なことにも過剰に反応してしまう状態でした。


睡眠不足は、人から余裕を奪います。気持ちに余白がなくなり、言葉は尖り、夫婦の会話は次第に減っていきました。小さな行き違いが積み重なり、やがて罵り合いに変わっていく。二人の関係は、静かに、しかし確実にすり減っていきました。


そして、ある夜。美紗さんは、震える手で一通の「離婚届」を机の上に置きました。それは夫への抗議というよりも、「これ以上、自分の心が壊れてしまわないため」の、精一杯のSOSでした。

なぜ、二人は踏み止まれたのか。広島と福岡の血が繋いだ縁


崩壊寸前まで追い込まれた二人が、なぜ離婚という選択をせず、今日まで歩みを止めずにこられたのか。その理由を、二人は後になってから少しずつ言葉にできるようになりました。


一つは、仕事を通じて「逃げ場がなかった」こと。もう一つは、二人それぞれの「根っこ」にある気質でした。夫・真路は広島県出身。自営業の家系で育ち、一度掲げた旗を簡単には下ろさない粘り強さがあります。逆境に立たされたときほど、「ここからが本番だ」と歯を食いしばる。そうした広島男児らしい気概が、彼の中にはありました。


一方、妻・美紗は福岡県出身。明るく、情に厚く、そして腹をくくったときの覚悟は揺るがない。一度「支える」と決めた相手や家族を、最後まで見捨てない強さを持っていました。

互いに逃げ道がなく、仕事の現場では「夫婦」ではなく「対等なプロ」として向き合わざるを得なかったこと。さらに、送り出した商品が誰かの手に渡り、「助かりました」「またお願いします」という声が返ってくる。その小さな手応えを二人で共有できたこと。

そうした積み重ねの中で、二人は少しずつ関係性を変えていきました。ぶつかり合いながらも、共通の課題に向き合ううちに、二人はいつしか「夫婦」である以前に、同じ戦場に立つ「戦友」のような存在になっていったのです。

約1年を費やした「最高の耳栓」。発端はサラリーマン時代の痛み


輸入販売の仕事を続けながらも、真路氏の胸の奥には、消えることのない思いがくすぶり続けていました。それは、「いつかは、自分たちの手で本当に納得できる商品を作りたい」という願いでした。

その原点は、彼がサラリーマンとして働いていた営業時代にあります。出張先のホテルで、周囲の騒音に悩まされ、ほとんど眠れないまま翌日の商談に向かった経験。体だけでなく、心まで削られていくような感覚の中で、彼は疑問を抱きました。


「なぜ、ちゃんと眠れる耳栓が、世の中にはないのだろうか」


とはいえ、ここでも彼は勢いで動くことはしませんでした。いきなり自社開発に踏み切るのではなく、まずは海外から品質の高い耳栓を仕入れ、日本向けにパッケージを調整してテスト販売を行います。市場の反応を確かめ、「これは本当に求められている」と確信を得てから、ようやくオリジナル開発へと舵を切りました。

自社製品の完成までには、おおよそ1年という時間がかかりました。形状、素材、遮音性能。そのすべてを見直す中で、最も重視したのは、美紗さんが日々受け取っていた「お客様の声」でした。


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試行錯誤の末、完成した耳栓を手にしたとき、二人の中には確かな実感がありました。既存のビジネスで足元を固めながら、焦らず、丁寧に「最高の一品」を磨き上げていく。この着実な歩みこそが、二人がたどり着いた「正しい選択」だったのです。

「NEYO」から「NeyoWell(ネヨウェル)」へ。祈りの深化


自社ブランドを立ち上げるにあたり、最初に付けた名前は、あえてシンプルなものでした。


「NEYO(寝よう)」。


そこには、かつて不眠に苦しみ、心も体も追い詰められていた自分たち自身への、「さあ、もう一度、ちゃんと寝よう」という切実な呼びかけが込められていました。

しかし、商品を届ける中で、二人の想いは少しずつ変化していきます。ただ眠れるようになるだけではなく、その眠りによって「翌日の気持ちが少し楽になる」「人生が前向きに回り始める」。そんな声を受け取るたびに、ブランドとして担う役割の重さを感じるようになったのです。


「眠ることで、その人の毎日そのものが健やかであってほしい」


その願いを言葉にするため、「NEYO」に「Wellness(健やかさ)」を意味する「WELL」を加え、「NeyoWell(ネヨウェル)」というブランド名が生まれました。


ただ商品を仕入れて売るだけの存在から、言葉に責任を持ち、自分たちの名前で価値を届ける存在へ。この名前には、二人がブランドとして生きていく覚悟そのものが込められていました。

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2023年、一通のメールから始まった爆発的な「救済」


耳栓事業が一定の手応えを見せ始めた頃、美紗さんのもとに、一通のメールが届きました。


「次は、眠りを妨げないアイマスクを作ってもらえませんか?」


それは、何気ない問いかけでありながら、二人にとっては次の扉を開く合図のようなものでした。耳栓を通じて睡眠の悩みに向き合ってきたからこそ、「目元」という、もう一つの大切な要素が自然と視界に入ってきたのです。


そして2023年。15年にわたる物販経験と、これまで積み上げてきた顧客との信頼関係を土台に、ついに自社開発のアイマスクを世に送り出しました。

このアイマスクには、自身の体温を輻射し、目元をじんわりと温める「光電子」素材を採用。美紗さん自身も睡眠改善インストラクターの資格を取得し、かつて「眠れない側」にいた当事者としての視点を、プロダクトづくりの細部にまで落とし込んでいきました。



プロダクトは、発売後すぐに反響を呼び、累計販売数は約5万個を突破。ネットショップの注文通知が鳴り続ける日々の中で、美紗さんの心には、これまでに感じたことのない感情が芽生えていきます。


「売上が伸びているということは、私たちが儲かっているというだけじゃない。それだけ多くの人の“眠れない夜”が、少しずつ減っているということなんだ」


寄せられるレビューの一つひとつは、かつて離婚届を机に置いた自分自身の過去を、静かに包み込むようでもありました。この瞬間、二人ははっきりと実感します。自分たちはもう、単なる物販業者ではない。誰かの課題に向き合い、その解決を支える存在になり始めているのだと。

2月、クラウドファンディングで放つ「究極の進化」


そして2026年2月。私たちはクラウドファンディングという形で、これまでの集大成とも言える新商品を世に問いかけます。


最大の進化は、実用新案申請中の「耳の下(耳たぶの下)を通す独自ベルト構造」でした。耳栓と併用してもベルトが干渉せず、朝まで耳が痛くならない。これまで多くの人が無意識に我慢してきた違和感を、構造そのものから見直しました。


さらに今回、美紗さんが最もこだわったのが「固定方法の再設計」です。「寝ている間にマジックテープが外れてしまう」「髪の毛が絡まって不快」そうした、何百人ものお客様から寄せられてきた声を一つひとつ検証し、剥がれにくく、なおかつ髪や肌に優しい、新たな固定の仕組みを導入しました。




この開発プロセスを通じて、私たちは一つの確信にたどり着きます。それは、「この商品は、もう私たち二人だけで作っているものではない」ということでした。

今回の改良にあたっても、長年の愛用者に試作モニターとして協力を仰ぎ、そのフィードバックを数ミリ単位で反映。かつて、美紗さんに一通のメールを送ってくれた誰かのように、「眠りを本気で良くしたい」と願う人たちの知恵が、このプロダクトには詰まっています。


2月のクラウドファンディングは、単なる新商品の発表ではありません。それは、失敗と遠回りから始まったこの事業が、多くの人の共感と参加によって形になった、一つの「答え」なのです。


かつて、「離婚届」を机に置くほど追い込まれた夜がありました。眠れない日々の中で、心も関係も、壊れかけた時期もありました。

それでも二人は、立ち止まり、向き合い、選び直してきました。真路(シンジ)は事業をつくり、美紗はブランドを育てる。役割は違っても、目指す先は同じです。



眠りを通して、人生を少しでも前に進めたい。

そんな想いを胸に、二人は今日も、この「真の路(みち)」を歩いています。


そう。一人ではなく、二人三脚で。


つまずいた過去も、遠回りもすべて抱えながら、これからも、眠りと人生に寄り添う道を、共に進んでいきます。


さあ、よく寝よう。Neyo Well.





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