TAHARA SAUNA
「子どもたちに”何もない町”と言わせないために」~伊良湖温泉、働き方、そして都会と地方をつなぐ挑戦 ~
2026年02月01日
伊良湖温泉、働き方、そして都会と地方をつなぐ挑戦
TAHARA SAUNAの挑戦は、単に一つの施設をつくることではありません。
それは、「田原という町に、選択肢を増やす」という試みです。
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▲「坂本龍馬 志の像」静岡県下田市
きっかけは、壮大なビジョンでも、完璧な事業計画でもありませんでした。
原点にあるのは、田原市図書館の掲示板に貼られていた、子どもたちの付箋の言葉です。
「町に何もない」
「夜道が暗くてこわい」
「田舎すぎる」
「町が楽しくない。市民全員が楽しめる何かが欲しい」
その言葉は、誰かを責めるためのものではなく、率直な実感でした。
そして同時に、大人たちへの問いかけでもあったと思います。
この町で育った子どもたちは、将来どんな気持ちで田原を思い出すのだろうか。
田原を離れること自体は、決して悪いことではありません。
むしろ、外の世界を知ることは大切です。
問題なのは、若者が「何もない」という理由で田原市を離れ、戻ってこなくなってしまうことです。
私たちがこの言葉を受けて、取り組みを進める中で、避けて通れなかったのが、「学ぶこと」と「働くこと」をどう捉えるか、という問いでした。
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▲日本体育大学・世田谷キャンパス|日本全国から学生7500名が集まる
ここで、少し私自身の過去の話をさせてください。
大学に進学し、全国から集まる人たちと出会う中で、ほぼ必ず交わされる会話がありました。
「どこ出身なの?」
その問いに対して、当時の私は、決まってこう答えていました。
「田原は、田舎で、何もないところだよ。」
今振り返ると、その言葉は事実というよりも、自分自身がそう思い込もうとしていた表現だったのだと思います。きっと、同じように感じ、同じように答えてきた人は、私以外にも少なくないはずです。
当時の私にとって、田原は「地元に産業が見えにくく、勉強しても、その力を地元のために使うイメージが持てない場所」でした。
だから、学ぶ意味も、働く意味も、どこか遠いものに感じていたのだと思います。(英語や複雑な数学式など、その典型です。)
けれど、大学に進み、社会に出て、都市で働く中で、その感覚は大きく変わりました。
全国、そして世界から人が集まる環境では、暗黙の了解はほとんど通用しません。
世の中の課題を見つめ、目的を定め、実現手段を考えなければ、物事もビジネスも動かない。そして、社会の課題を解決できないものは、長くは続かない。
社会人となりその現実に触れる中で、初めて実感をもって理解できたのが、
「だからこそ、勉強が必要なのだ」ということでした。
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▲2019年大学入試の赤本|裏に記載された名言
田原にいた頃には分からなかったことです。
田原には農業という大切な産業があります。
しかし、農業があるだけで、「地方には産業が少ない」という構造的な課題そのものが解決するわけではありません。
その課題に向き合い、形にしていくためには、知識や技術、経験が必要になる。
そのことを、私は地元を離れて初めて学びました。
そしてその過程を経て、ようやく、自分の育った町や自分自身を、少し離れた視点から見つめ直すことができるようになりました。
「田原は何もない町」なのではなく、
学びと挑戦が循環する仕組みが、まだ見えにくかった町だったのではないかと。
この経験があるからこそ、今の中学生や高校生たちには、伝えたいことがあります。
すべての人が、時習館や豊橋東のような進学校に進むわけではありません。
成章高校、渥美農業高校、福江高校を卒業し、就職を選ぶことも、自然で正しい選択です。
だからこそ、「大学という選択肢の魅力」や「社会人でビジネスを続けるために必要なスキルセット」を知ったうえで、進路を決めてほしい。
大学とは、全国から人が集まり、価値観が混ざり合う場所。
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その中で初めて、自分の育った町や、自分自身を、客観的に見つめ直す機会が生まれます。
学び、外に出て、また戻る。
そして、学んだ力を地元のために使う。
そんな循環が当たり前に描ける田原市になってほしい。
だからこそ、
「田原は何もない」と自虐する未来の子どもたちは、少しずつ減らしていきたい。
それが、この町で新しい選択肢をつくろうとしている私たちの、原動力の一つです。
これらの想いから私たちは、企業理念として
「田原市にないものを創る」という言葉を掲げました。
しかし、「ないものを創る」と口にすることと、実際に動き出すことの間には、大きな隔たりがあります。
資金、理解、仲間、覚悟。
どれも最初から揃っていたわけではありません。
クラウドファンディングという手法を選んだのも、単なる資金調達が目的ではありませんでした。市民と一緒に始めることで、「自分たちの町に、自分たちの手で価値をつくる」という経験そのものを共有したかったのです。
成功も失敗も含めて、この町の実績として残したい。
それが、TAHARA SAUNAの出発点でした。
伊良湖温泉を導入する意味
― 観光資源であり、市民資源でもある存在へ ―
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▲愛知県田原市|伊良湖岬灯台
TAHARA SAUNAの構想を進める中で、大きなテーマの一つとなったのが、伊良湖温泉の導入でした。
温泉という存在は、日本において特別な価値を持ちます。
下呂温泉や別府温泉のように、「温泉」という言葉そのものが地域の印象を形づくり、人を呼び込む力を持っています。
伊良湖温泉もまた、本来はそのポテンシャルを十分に秘めた資源です。
しかし現状では、伊良湖岬周辺の宿泊施設に利用が集中し、主な利用者は観光客に限られています。
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▲田原市のスーパー|苺はびっくりするくらい大粒でジューシーで甘味がいっぱい
一方で、田原市中心部に暮らす市民の多くは、「伊良湖温泉があることは知っているが、実際に使ったことはない」と語ります。
市内を回り、チラシを置かせていただく中で、この声は想像以上に多く聞かれました。
そこにあったのは、不満ではなく、「届いていない」という状態でした。
もし伊良湖温泉が、中心市街地で日常的に使える存在になったらどうだろうか。これまで田原市民が余暇を求めて豊橋や豊川へ向かっていた流れが、逆に豊橋・豊川の人々が田原へ足を運ぶ流れへと変わるかもしれません。
観光客のためだけではなく、市民の暮らしの中に根づく温泉。
伊良湖温泉が「観光資源」から「生活資源」へと役割を広げていくこと。
それが、私たちが田原中心部に伊良湖温泉を導入しようと考えた理由です。
これは、行政と対立する話ではありません。
すでにある価値を、より多くの人に知ってもらい、使ってもらうための、民間からの補完的なアプローチです。
温泉を新しく生み出すのではなく、
眠っている価値を、町の真ん中へ引き寄せる。
その発想が、TAHARA SAUNAの根底にあります。
田原で働くという選択肢
― きゃべぽよ(個人の視点)から見えた、もう一つの働き方 ―
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ここからは、少しだけ個人的な話になります。
私は以前、東京や横浜で働いていました。
仕事は充実しており、学ぶ機会も多く、毎日が刺激的でした。
一方で、成果を積み重ねるほどに、家族との時間や自分の健康が後回しになっていく感覚もありました。
都市には情報があふれています。
何を学ぶべきかを考える前に、次の選択肢が目の前に現れ、気づけば常に走り続けていました。
仕事は楽しい。けれど、このままの生活が自分にとって最適なのだろうか。
そう考えるようになったとき、私は一度立ち止まり、
「人生で本当に大切にしたいものは何か」を見つめ直しました。
その答えは、意外と単純でした。
お金をしっかり稼ぎながら、時間を持ち、健康を維持し、家族と過ごせること。
どれか一つではなく、すべてを少しずつ、自分が満足できるだけ持つことでした。
日本ではしばしば、「お金と時間はトレードオフだ」と言われます。
長く働けば収入は増えるが、時間は減る。
時間を優先すれば、収入は下がる。
しかし本当に、それしか選択肢はないのだろうか。
この問いが、私の働き方を見直すきっかけになりました。
私はエンジニアという職業柄、場所に縛られずに働くことが可能でした。
この特性を活かし、愛知県田原市へ拠点を移すという決断をしました。
生活コストは抑えられ、身近に新鮮な野菜や魚があり、自然の中で過ごす時間が増える。
それは「何かを捨てる移住」ではなく、
都市で得たキャリアを維持したまま、生活のバランスを調整する選択でした。
もちろん、地方には都市とは異なる不便さもあります。
仕事の選択肢の少なさや、情報量の差を感じることもあります。
それでも、働き方の自由度が高まった現代において、
「どこで働くか」は以前ほど固定的なものではなくなってきています。
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田原での生活を始めてから、時間の流れ方が少し変わりました。
移動時間が短くなり、食事の質が上がり、体調が安定する。
結果として、仕事の集中力や判断力にも良い影響が出ていると感じています。
収入の多寡だけではなく、「余白」が生まれたことが最も大きな変化でした。
この経験から強く思うのは、
地方で働くことは、都会への対抗ではないということです。
都市には都市の価値があり、地方には地方の価値がある。
どちらが優れているかではなく、
自分がどのバランスを選ぶかの問題なのだと思います。
私はこの気づきを、インスタグラムという個人的な発信の場で少しずつ共有しています。誰かに移住を勧めたいわけではありません。
ただ、「こういう働き方もある」という事実を、静かに置いておきたいのです。
TAHARA SAUNAの取り組みを近くで見ていると、
一つの施設が生まれること以上に、
この町に「働き方や暮らし方の選択肢」が増えていく過程そのものに価値があると感じます。
田原で働くという選択は、特別な人のものではなく、
これからの時代における、現実的なもう一つの可能性なのかもしれません。
― 選ぶ社会から、行き来できる社会へ ―
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この取り組みの本質は、「都会か地方か」という対立構造ではありません。
都市には都市の価値があり、地方には地方の価値があります。
大切なのは、どちらかを否定することではなく、
行き来し、学び、持ち帰ることができる社会をつくることです。
田原には、すでに多くの誇れるものがあります。
蔵王山から望む夜景や電照菊の風景。
情熱を持つ個人店。
「ないなら作ろう」と立ち上がった人たち。
農業の未来を真剣に考え、全国へ発信する若い担い手。
地域を越えて人をつなぐ活動。
世界に誇れる地元企業。
そして、この町の魅力を静かに記録し続ける個人の発信者たち。
TAHARA SAUNAは、その流れの中の一つに過ぎません。
けれど、「ここにあってよかった」と思える場所が一つ増えることで、
誰かの記憶の中の田原は、確実に変わっていきます。
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▲田原市図書館の一角|子どもたちの声を眺めてモチベーションを上げるシーン
田原を離れる若者が、「何もないから」ではなく、
「挑戦したいから」外へ出る。
そしていつか、「戻りたい町がある」と思える。
その積み重ねの先に、
「田原ってどんな町?」と聞かれて、
「何もない」と自虐する未来は、少しずつ減っていくはずです。
都会と地方を対立させない未来とは、
どちらかを選ぶ社会ではなく、
どちらも選べる社会。
TAHARA SAUNAの挑戦は、そのための小さな一歩です。
大きな変革ではなく、地に足のついた積み重ね。
その積み重ねが町の輪郭を変え、
選択肢を増やし、
誰かの人生の分岐点を、少しだけ優しくする。
この町に、「ないもの」を一つずつ創りながら。
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