星野リゾート

20トンの重機で、針の穴を通すー私たちが“手作り”のジャンプ台にこだわる理由

2026年02月23日

日本百名山である磐梯山の西側に広がるスキー場「ネコマ マウンテン」は、33コース、リフト13基を有するビッグゲレンデです。この広大な白銀の世界には、実はスタッフの「熱」が込められた場所があるのをご存知でしょうか?


それが、ゲレンデに点在する「スノーパーク」です。 日本でスノーボードブームが巻き起こった2000年代には聖地と呼ばれ、オリンピックで活躍するトップアスリートたちもこぞって練習に訪れる場所。 実は、彼らがここを選ぶ理由は、単に雪質が良いからだけではありません。

そこには、ある一人の職人の静かな情熱と、計算外の「やりすぎ」な愛が隠されているんです。



効率化の逆を行く、「おせっかい」な職人魂


物語の主人公は、パーク造成の統括責任者、山田 雄二さん。この道30年の大ベテランで、ネコマ マウンテン(旧アルツ磐梯)の最初の社員でもあります。


通常のスキー場であれば、ジャンプ台などのコースを有するパークは、シーズン初めに一度作り、あとはそれを微調整しながら維持するのが一般的です。その方が効率的ですし、コストもかかりません。重機を動かす燃料費も、スタッフの労力も最小限で済みます。


でも、山田さんたちは違います。


「シーズン中に、3回も4回もゼロから作り変えることがあるんですよ。『やりすぎじゃないか』って自分でも思うんですけどね(笑)」


なぜ、そこまで徹底して作り変え続けるのか。 それはここネコマ マウンテンが、数々の「世界大会」が行われてきた決戦の地だからです。



国際スキー連盟公認の大会や、アジア圏のトップ選手が集まる国際大会などがこの場所で開催されてきました。国際基準で行われる大会は、その時々でコースのトレンドやルールが厳格に定められています。


「今度の世界大会では、このサイズと角度が基準になる」。 そう決まれば、世界中から集まる選手たちが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、その基準に合わせてゼロから作り変えてしまうのです。


そこには教科書もマニュアルもありません。頼りになるのは、海外の大会規定や、わずかな情報だけ。


「日本でまだ誰も作ったことのない形」を、経験則と技術だけで再現しなければなりません。


もし設計を誤れば、世界中から来た選手が怪我をするかもしれない。「これでは大会にならない」となれば、開催地としての日本の信頼に関わる。そんなプレッシャーと戦いながら、ホスト会場としての責任を果たすために、せっせと雪山を作り変えるのです。


それは、効率を追求する現代において、あまりにも「おせっかい」で、泥臭いやり方かもしれません。


しかし、その手間暇こそが、世界と戦う彼らにとっての最高のステージになることを、山田さんは知っているのです。

ゲレンデで繰り広げられる、20トンの繊細な手仕事


一面の銀世界の中、重低音を響かせながら、山田さんは巨大な雪上車を走らせています。その重さ、およそ10トンから20トン。


全長9メートルにも及ぶ要塞のような鉄の塊ですが、山田さんが操ると、それはまるで魔法の筆のように繊細な動きを見せます。


「20トンの重機を使って、針の穴を通すような作業をしている」


山田さんは、自身の仕事をそう表現します。



キャタピラで雪山を登り、パワフルなブレード(排土板)で雪を押し上げる。一見、豪快な土木工事のように見えますが、コックピットの中の空気は張り詰めています。

わずか数センチの雪の角度、数度の斜度の違い。その微細な誤差が、時速数十キロで突っ込んでくる選手のパフォーマンスや、安全性に直結するからです。


大きな重機を使い、計算された理論に基づいて土台を作る。 しかし、最後に頼るのはやっぱり「人の手」と「感覚」です。



ある程度の形ができると、重機を降ります。そしてシェイパー(手作業の整地器具)を手に取り、機械では感じ取れない雪の硬さ、わずかな凹凸を確認しながら、ミリ単位で削り、撫で、整えていくのです。


寒空の下、額に汗をかきながら、黙々と雪と向き合うその姿。 それはまるで、工芸品を磨き上げる職人のようであり、巨大な彫刻に命を吹き込む芸術家のようでもあります。


「神経を使うから、本当に疲れるんです」と苦笑いしながらも、山田さんは決して手を抜きません。それは、データや数値だけでは割り切れない「手作り」へのこだわりであり、滑る人への敬意そのものなのです。

かつての「黒船」と、未来への可能性


山田さんがここまで技術と理論にこだわるようになった背景には、ある原体験があります。


かつて、アルツ磐梯でアジア最大級の国際大会「NIPPON OPEN」が開催された際、ソルトレイクシティ五輪のコースを手掛けた海外の精鋭チームが来日しました。いわゆる「黒船」の到来です。


当時、山田さんもコース作りには自信を持っていました。しかし、彼らの仕事を見て驚きます。彼らが持ち込んだのは、圧倒的な「理論」でした。



進入速度、アプローチの角度、飛び出し口の曲線の半径。すべてが理論に基づいて計算され、重機の動線までもが効率化のために設計されていたのです。


これまでの「この辺りに盛れば飛べるだろう」という感覚に頼った方法とは、全く違うアプローチ。山田さんがその時感じたのは、落ち込む感情ではなく「この技術を取り入れれば、もっとすごいパークが作れる」という興奮でした。


この時に培われた技術と精神が、現在のネコマ マウンテンの安全性の礎となり、世界中のライダーを唸らせるクオリティへと繋がっています。

世界へ羽ばたく子どもたちの姿が、明日への原動力


山田さんが、なぜそこまでして情熱を注ぎ続けられるのか。 それは、彼自身がかつてビデオの中の海外ライダーに憧れ、プロを目指して雪山に通い詰めたスノーボーダーだったからこそ分かる、「滑り手への愛」があるからです。


そして何より、ここで練習していた子どもたちが、世界の舞台で輝く姿を見ることが、彼の一番の原動力になっています。


鬼塚雅選手など、今や世界のトップスターとして知られる選手たちも、かつては山田さんが作った小さなジャンプ台で練習を重ね、転び、また立ち上がっていた「ネコマの子どもたち」でした。


「ネコマを拠点にしていた選手や、昔からよく見ていた子どもたちが、世界で結果を出す。そんな姿を見るととても励みになります。」


かつて自分が見守っていた小さな背中が、世界という大きな舞台で戦っている。 その事実が、氷点下の中、作業を続ける山田さんの心を温め、また次の「完璧なジャンプ台」を作るためのエネルギーになっているのです。

雪山に宿る、職人の情熱


今、ゲレンデにあるジャンプ台は、ただ雪が積もっているわけではありません。「怪我をせず、うまくなってほしい」「今日一日、最高に楽しんでほしい」。


そんな山田さんたちの熱い想いと、夜通しの手仕事が、真っ白な雪の中にぎっしりと詰まっています。


「プロじゃないから、パークなんて無理」、そう思っている方も、ぜひ一度、ウェーブや、小さなジャンプ台から始めてみてください。


そこには、20トンの重機と、職人の繊細な指先が生み出したスノーパークが待っています。飛んだ瞬間に感じる浮遊感や、スムーズな着地の心地よさなど、パークの裏側にある思いをきっと感じるはずです。




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