星野リゾート

私たちが「湯守り」を超えて「茶守り」になった理由。 プロが諦めた土壌を、一人の師範とスタッフの誇りで再生させた8年の軌跡

2026年03月17日

2026年、春。

界 遠州の中庭には、今年も瑞々しいチャノキの芽が顔を出し始めました。


静岡の伝統工芸「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」の縞模様を、チャノキの緑とドウダンツツジの紅葉で表現した「つむぎ茶畑」。今では多くのお客様から「美しいですね」と仰っていただけるこの風景ですが、私たちスタッフにとって、この緑は単なる景色ではありません。


これは、一人の男の無謀とも思える情熱と、それに突き動かされた私たちスタッフ全員が、文字通り泥にまみれて守り抜いてきた「執念」の結晶なのです。

その中心にいるのは、竹野晋平さん。


彼がこの宿に持ち込んだのは、お茶の知識だけではありませんでした。それは、一度折れかけた施設の象徴を、もう一度自分たちの手で取り戻すという、強い意志でした。

竹野晋平さん

アラスカから来た「求道者」

竹野さんが界 遠州に異動してきたのは2016年のことでした。当時の私たちは、彼の経歴を聞いて驚いたものです。


「前職はアラスカのホテルで働いていたんですよ」

そう笑って話す竹野さんは、奈良県出身。有馬温泉の旅館でキャリアをスタートさせ、そこで社員教育の一環として行われていた抹茶道教室を通して日本文化の奥深さに触れたといいます。アラスカへ渡ったのは、手つかずの自然への憧れと、「世界の人に日本のお茶文化を伝えたい」という思いから。極寒の地で、言葉の壁にぶつかりながらも同僚に抹茶を振る舞い、笑顔の輪を作ってきた……。そんな経験を持つ彼が、日本屈指のお茶処である浜松で「煎茶の勉強をしたい」とやってきたのです。


界 遠州に着任した当時の竹野さんは、まだ「お茶が好き」というレベルのスタッフだったと言います。そのころ館内では今のように、「静岡煎茶」に特化はしておらず、全国の煎茶や抹茶、ほうじ茶、紅茶が提供されていました。


そんな彼は、当時の支配人からこんなことを言われました。

「竹野さん、本気でお茶をやるつもりなら、『日本茶インストラクター』の資格を取ったほうがよいよ。それがなければ、静岡のお茶屋さんは君を相手にしてくれないよ」


この一言が、竹野さんの負けず嫌いな心に火をつけたそうです。日本茶インストラクターは、合格率が3割程度という難関資格。歴史、栽培、製造、化学的成分、そして鑑定技術。広大なお茶の世界を網羅しなければなりません。


そこから仕事の合間を縫って、猛勉強が始まりました。1年目、筆記試験は突破。

しかし、実技試験で壁にぶつかりました。5つの異なる茶葉を、見た目と香り、品質の良い順に並べるという鑑定試験。違いが全く分からない。結果は不合格でした。

「お茶屋さんに相手にされるレベルまで行きたい」


そう誓った竹野さんは、翌年からの1年間、自ら、茶師や製茶問屋、茶農家さんを訪ね歩きました。実際に茶を刈り取る摘採機に乗せてもらったり、日本一高いといわれる標高1000mの茶園に足を踏み入れたり、老舗の若き茶師にお話しを伺ったり。

そして2年目、見事に合格を勝ち取りました。

さらに探求心は加速。2019年には煎茶道に出会い、2024年1月には、ついに師範に。

今では地元の幼稚園や公民館から講師として招かれるほど。


彼がお茶を語る時、その言葉には単なる知識ではない、圧倒的な「熱」が宿るようになりました。しかし、そんな彼の熱意とは裏腹に、宿の象徴である「つむぎ茶畑」は、危機に瀕していたのです。

静岡伊勢丹で開催された茶会にて、和紅茶点前をしている様子

華やかな舞台の裏で、枯れるチャノキ

2018年、界 遠州は大きな挑戦を始めました。施設の庭に、静岡の伝統工芸「遠州綿紬」の柄を模した茶畑を作るプロジェクトです。お茶の宿として、ゲストに「茶畑の風景」を直接届けたい。その想いから始まった壮大な計画です。


その最初の道のりは大変で、重機で地面を掘り返すと、出てくるのは巨大なコンクリート片ばかり。かつての建物の残骸でしょうか。土壌への一抹の不安は抱えたまま工期は進み、なんとか2019年にある程度の形になりました。

これからチャノキがぐんぐんと成長するのをも待つ、そんな状態を迎えました。


庭を解体し、土中に埋まっている岩やコンクリートを取り除いている様子


当時は、念願の茶畑に私たちは浮き足立っていました。

朝には茶畑に佇む四阿(あずまや)でお茶を振る舞い、飛び石を使って子供たちと遊び、冬の夜には茶畑の中で遠州伝統の手筒花火を上げる。若いチャノキが並ぶ茶畑の中で、様々なイベントを開催しました。


当初は、地元の老舗のお茶屋さんに管理を委託していました。プロの手に任せれば、数年もすれば青々と茂る茶畑が完成するはずだろうと。

しかし、2022年になっても、チャノキは一向に育たず、それどころか、枯れていく木も少なくありませんでした。だんだん不安は大きくなります。その後も何度も植え替えを試みましたが、うまくいかない。


ついに、お茶屋さんから衝撃的な一言が告げられました。

「これ以上の管理は、うちでは難しい。」


プロが諦めた。その事実にスタッフの間で絶望感が広がったのを覚えています。

誰がこの茶畑を見るのかという議論になった時、真っ先に手を挙げたのが、コンテンツ開発の担当となった竹野さんでした。

3年経ってもうまく育っていない茶畑

暴かれた「20センチ」の絶望

「なぜ育たないのか、科学的に証明しなければならない」

2021年10月。竹野さんは県の中遠農林事務所や茶業研究センターの専門家を招き、本格的な土壌調査に乗り出しました。私たちも横で見守る中、彼は自らツルハシを握り、茶畑の土を深く、深く掘り下げて土を採取していきました。


土壌調査の結果私たちが目にしたのは、残酷な現実でした。

本来なら1メートルは深く伸びるはずのチャノキの根が、わずか「20センチ」で成長が止まっていたのです。その下には、2018年の工事で取り切れなかったコンクリートの残骸と、カチカチに固まった粘土層が、壁のように立ちはだかっていました。

竹野さん自ら土壌を確認するために掘り進める


「これじゃあ、チャノキは育たない」

さらに、土壌のpH値を測ると、チャノキが嫌うアルカリ性に大きく傾いていました。敷き詰められていた土が酸性のものでないばかりか、コンクリートから溶け出した成分が、土そのものを変質させていたのです。

プロが諦めた理由。それは、この土地そのものが「お茶を育むことを拒んでいた」からでした。


「もう一度最初から茶畑を作り直しましょう」

支配人、そして専門家と議論を重ね、2022年、完成した茶畑をもう一度壊すという、前代未聞の再工事が決まったのです。

2022年、再生への「植樹祭」

2022年2月。中庭には再び重機の音が響き渡りました。

それは「庭造り」というより、もはや「土木工事」でした。アルカリ化した土を1メートル以上掘り下げて運び出し、チャノキに適した新しい土に入れ替えました。

「お茶は流れる水は好きだが、止まっている水は嫌い」。専門家の教えを忠実に守るため、排水が良くなるよう、土中に暗渠(あんきょ)パイプを網の目のように敷き詰めました。

1メートル土を掘り下げ、酸性の土、そして暗渠を敷く


そして3月9日。私たちは「植樹祭」を行いました。

竹野さんの呼びかけで、スタッフだけでなく、その日お泊まりのお客様も一緒になって、新しい苗を植えていきました。

「今度こそ、根を張ってくれ」

お客様と一緒に苗を植える竹野さんの顔は、これまでにないほど真剣でした。


しかし、今度は思わぬ「敵」が現れました。

通路である飛び石を固定するために植えていた「芝生」です。

栄養たっぷりの新しい土で、芝生はチャノキを凌駕するスピードで成長し始めました。芝生の根はチャノキを締め付け、栄養を奪います。さらに、暗渠を設置してもなお、一部で水はけが悪い場所が見つかりました。

竹野さんは、やむにやまれず、追加の修繕を依頼しました。芝生を剥ぎ取り、暗渠を増設する。その間、彼は何度も、何度も、中庭に這いつくばって芝生を抜いていました。


チャノキを植える植樹祭の様子

私たちは「茶守り」になる

2022年の後半から、竹野さんは「茶畑日誌」を記録し、私たちスタッフ全員を茶畑へと誘いました。


「温泉旅館に湯守りがいるように、お茶の宿には『茶守り(ちゃもり)』が必要なんです」

その言葉から、私たちの新しい日常が始まりました。

フロントのスタッフも、レストランのスタッフも、1時間のシフトを「茶守り」の時間として確保し、作業着に着替えて畑に入ります。


当初は「接客が仕事なのに、なぜ農作業を?」という戸惑いもありました。しかし、スタッフが共に雑草を抜き、肥料をまき、チャノキの小さな成長を日誌に記していくうちに、私たちの心境は変わっていきました。


2025年10月。私たちは全員で冬備えのためにチャノキの根元に藁(わら)を敷き詰めました。凍てつく寒さから根を守るための藁は、その後徐々に土へ還り、お茶の栄養になっていきます。凍える寒さの中、みんなで笑いながら作業をしたあの時間は、今では私たちの強い連帯感の象徴です。


「自分たちの手で育てたお茶です」

お客様にそうご案内する時、私たちの言葉には、かつてのような「借り物」の響きはありません。そこには、自らの手で土に触れ、守り抜いてきた者だけが持つ、本物の誇りが宿っています。


茶守りが茶畑に藁を敷き詰めている様子

2026年、新茶がつむぐ「あたらしい王道」

そして今、2026年の春を迎えています。

かつて「絶望の土地」と呼ばれたあの庭は、いまや鮮やかな「遠州綿紬」の縞模様を描き、力強い新芽を蓄えています。


今年の5月、私たちは満を持して「手揉み体験」プログラムをスタートさせます。

通常なら6時間かかる手揉みを、スタッフが試行錯誤の末、最新の知恵と伝統技術を掛け合わせて45分に凝縮した、界 遠州だけの特別な体験です。

竹野さんは、今でもさらなる高みを目指しています。

「本当は、館内に本格的な製茶スペースを作りたい。摘んだばかりのお茶をホイロと呼ばれる作業台で仕上げる時の、あの香りを皆さんに知ってほしいんです」

彼の情熱は、今も加速し続けています。


整枝をしている様子

繋がれていく物語

竹野晋平さんという一人のスタッフが蒔いた種は、いまや界 遠州という宿全体の大きな森へと育ちました。彼が私たちに教えてくれたのは、お茶の淹れ方だけではありません。


それは、地域の文化を預かるという責任の重さと、それを自分たちの手で形にする喜びでした。

「お茶は、人が作るもの。そして、人が人を繋ぐものなんです」

竹野さんがよく口にするその言葉通り、この茶畑には、地元の農家さんや専門家、そして私たちスタッフの想いが一本一本の木に刻まれています。

界 遠州の「つむぎ茶畑」を訪れた際は、ぜひその緑の奥にある物語を感じてみてください。


そこには、一度はプロが諦めた風景を、執念と誇りで取り戻した「茶守り」たちの、熱い鼓動が聞こえてくるはずです。




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