三木楽器 株式会社
三木楽器株式会社「音楽と共に紡いだ歴史 200年の歩み」
2025年02月27日
三木楽器株式会社は、2025年に創業200年を迎えました。
1825年(文政8年)に書籍業として創業した三木楽器は、2025年に創業200年を迎えました。 大阪で、日本最古の楽器店として歴史を築いてきた、その200年の歩みについて、ご紹介いたします。
1825年 書籍商「河内屋」から分家し、創業。三木楽器 200年のはじまり。
三木楽器のはじまりは、当時、大阪で勢力のあった書籍商「河内屋」から分家した「河内屋佐助(かわちやさすけ)」。
江戸時代の終盤、1825年に大阪・船場で創業しました。
主に、本家から受け継いだ書籍ビジネスや籐製品の卸売りを行っており、それぞれの事業に優秀な番頭を置いて、堅実な経営を行っていました。
この河内屋佐助でのちに楽器・音楽ビジネスの基盤を作ることとなるのは、8歳で奉公に来た松田友吉でした。
時代のニーズを敏感に感じ取り、それを商売に転ずる商才に長けていた友吉は、一時は経営の危機に陥った河内家佐助の立て直しに貢献します。その働きが評価されたこともあり、養子縁組によって四代目・三木佐助を襲名。1884年より1926年まで、42年にわたり代表を務めることとなるのです。
▲四代目 三木佐助(幼名・松田友吉)
ヤマハオルガンの販売を決意。「楽器部」設立へ。
四代目・佐助が楽器・音楽ビジネスを始めたのは1888年のこと。
きっかけは、書籍業界の盟友・白井練一氏の紹介で、山葉寅楠氏(日本楽器(現ヤマハ株式会社)創業者)より、ヤマハオルガンを販売してほしいとの相談を受けたことでした。
この頃、「東京の学校教育の中で西洋式の唱歌教育が始まり、いずれ全国に導入される」という情報を書籍販売仲間から得ていた佐助は、西洋音楽が日本中で広がる兆しと音楽ビジネスに将来性を感じ、ヤマハオルガンの販売を決意、1888年に店内に「楽器部」を設立します。
また、1889年に名古屋から鈴木バイオリンの創業者である鈴木政吉氏が来阪。鈴木バイオリンの販売も開始、1903年にはヤマハピアノの取り扱いも開始します。
▲ヤマハオルガン(山葉風琴)と鈴木バイオリンの広告(1890年頃)
音楽ビジネスへの期待が膨らむ一方で、当時の学校では、西洋楽器の演奏方法を知る教員が少なく、普及もなかなか進みませんでした。
佐助は「西洋楽器をより多くの方々に広めるためには、演奏方法の教育が必須である」と考え、1890年に関西地域の学校教員と保育士を対象に、オルガン・ピアノ・バイオリンの奏法を学べる1ヶ月間の「関西音楽講習会」を企画、大阪や近隣府県から105名もの熱心な参加者が集まり、大成功を納め、地域の音楽振興に幾分の影響を及ぼすことになりました。
楽器・音楽ビジネスの進展と、ベストセラー 「鉄道唱歌」
楽器の販売、音楽講習会の実施のみならず、本業である書籍の分野においても、『日本俗曲集』『図解ヴワイヲリン指南』の出版など、音楽関連ビジネスを開始します。
1900年には、東海道沿線の名勝・古跡を「汽笛一声新橋の〜」からはじまる軽快なリズムに乗せて紹介していく唱歌集「鉄道唱歌」を出版。
音楽隊と歌手を雇って演奏しながら売り歩く、国鉄とタイアップして音楽列車を走らせる、学校教材として取り上げられるよう働きかけるなど、佐助の巧みなマーケティングが功を奏し、発行部数10万部を超えるベストセラーとなりました。
その後、大正時代に入ると、楽器需要はより旺盛になります。欧州への留学生も増え、「西洋音楽を本場の楽器で演奏したい」というニーズも増加していきます。
そこで、1921年に、当時から最高峰ピアノとして名声の高かった【スタインウェイ】の日本総代理店となり、人気の国内メーカーの商品に加え、本場欧米の楽器も取り揃え、幅広い顧客ニーズに応える総合楽器店を目指しました。
▲(左)スタインウェイ・ピアノの納入風景(右)楽器カタログ
創業100周年。今も残る本社ビルの新築と新会社の設立。
創業100周年を記念して、木造だった本店を地下1階地上4階のモダンな本社ビルに建て替えます。
完成した本店ビルの3階には150人以上を収容できる三木ホールを設置。クラシックのコンサートはもちろん、音楽以外の学問的な講演会場、朝比奈隆氏の所属する大阪室内管弦楽団(大阪フィルハーモニーの前身)の練習やリハーサルにも利用されました。
音楽関連講座も各種開催され、中でも佐助と親交の深かった山田耕筰氏による作曲講座は度々開催されていました。
▲三木ホールでの山田耕筰氏 作曲講座の風景(昭和初期)
また、創業100周年を迎えた1925年は、1924年に翻訳権を取得した『コールユーブンゲン』が出版された記念となる年でもありました。
ミュンヘン音楽学校の合唱曲練習教書でもあった『コールユーブンゲン』
国内ではソルフェージュや声楽学習の初歩教材として使われるほか、音楽大学入試の実技課題としても採用されている本書は、現在も三木楽器から継続して出版されています。
1926年には新会社「大阪開成館三木佐助商店」を設立し、個人商店から合名会社へ変更し、新しい時代への対応を図ります。
同年、書籍販売から西洋楽器の販売、音楽教育と、大きくビジネスを拡げた四代目佐助が、自店の大きな変化を見届け、享年75歳で永眠します。
1929年 三木ピアノ・オルガンの販売開始。
当時、技術力に優れた新鋭メーカーであった河合楽器研究所。のちに、河合楽器製作所と改称するその工場で生産されたピアノとオルガンに【S.MIKI】のブランドを付けて
1929年から販売を開始。これが最初の三木ピアノ・オルガンでした。
なお、1961年以降は、三木のピアノ・オルガンは「日本楽器」系列での生産に移行、
およそ30年間にわたり、生産されていました。
▲三木オルガンのポスターと三木ピアノの宣伝写真(いずれも昭和初期)
「戦後」の楽器・音楽ビジネス。「心斎橋売店」の開設と、株式会社への改組。
長く苦しい戦争が終わりを迎えると、六代目・佐助は「楽器販売・レコード販売・書籍販売」の復活を目指し、事業の再開に向けて動き出します。
1946年には楽器部を再開、販売拠点となる「心斎橋売店(のちの心斎橋店)」の開設により、復活への道筋をつけました。
この頃は、主に、大阪に駐在した進駐軍の施設に置かれるオルガンや、余暇に使うアコーディオン、ギターなどを販売していたと思われます。
▲戦後に建てられた心斎橋店の店内の様子(1953年)
進駐軍向けの楽器市場の次に生まれたのが、教育機関向けの楽器市場です。
1947年以降、学校教育で「器楽教育の実施」が明確な目標とされ、各学校に「伴奏用の鍵盤楽器」を導入する流れになります。
これによって「小学校にピアノを設置する」ことが教職員や保護者たちにとっての「夢」となり、当時大変高価なものであったピアノを、地域住民からの募金も集めて学校に納入する事例が増えていったのです。
一方、「書籍販売」に関しては、戦後はGHQの厳しい検閲が入り、戦前に行っていた国定教科書の販売は断念せざるを得なくなります。
1950年代に入ると、戦後の復興期から新しい時代に突入。大阪の街も次第に栄え、ミナミの繁華街に近い「心斎橋売店」は街の賑わいと共に活気づいていきます。
日本が高度経済成長期に入る中、三木楽器も新たな成長段階へのステップアップを図り、1956年に「合名会社三木佐助商店」から「三木楽器株式会社」に改組。
名実ともに個人商店から会社組織へ移行しました。
1969年 心斎橋店新社屋(地上4階・地下2階)完成。
1965年以降、日本経済は好景気に入り、大阪は日本屈指の大都市として東京と共に発展を続けました。
三木楽器では、周りの商店街の高層化と心斎橋界隈の高級店化に伴い、戦後すぐに建てられた心斎橋店を、2階建ての木造建築物から、地上4階・地下2階の6フロアにまたがる大型楽器店に建て直します。
オープン当初の取扱い商品は、【管弦楽器・フォークギター・エレキギター・ギターアンプ・ドラムセット・ウクレレ・コントラバス・ピアノ・電子オルガン・楽譜】と多岐にわたり、2階には【テレビ・ステレオ・レコード】さらに地下1階にはビクター専用のショールームが設けられました。また、4階には「ミュージックロビー」と名付けられた談話スペースが設けられ、ミニコンサートが行われることもありました。
心斎橋筋商店街内、心斎橋駅すぐ、という立地にも恵まれ、この大型楽器店は、三木楽器の旗艦店として、2016年の建て替えまで長年に渡り多くのお客様にご愛顧いただきました。
▲建て替え後の心斎橋店の様子
ライトミュージック(軽音楽)専門店の出店とバンドブーム。
1970年頃の楽器店といえば、個人のお宅をまわる「ピアノの訪問販売」が売上げの大きなウエイトを占めていましたが、 この当時、グループサウンズやロックバンドが人気を博していたことをふまえ、ライトミュージック(軽音楽)専門の新店舗を企画、1972年に天王寺駅前のアポロビルに出店します。
お客様による店内スタジオでのコンサートや、近隣の中学・高校の軽音楽部への特別販売などを行い、次第に多くのお客様にご利用いただけるようになっていきました。
そして、80年代後半から一世を風靡したバンドブームの中で、1992年に本格的なライトミュージックの総合楽器店「梅田店」を、次いで天王寺駅前のアポロ店を移転する形で1994年に「アメリカ村店」をオープンします。
▲(左)梅田店(右)アメリカ村店
また、「社会人バンドウォーズ」というイベントも1992年にスタート。
社会全体のバンドブームとともに、三木楽器でもライトミュージックジャンルが勢いを増し、のちの三木楽器を支える主要ジャンルに成長していきました。
高校軽音楽部のための発表会『We are Sneaker Ages』のはじまり。
時は遡り、1979年。アポロ店で軽音楽部への楽器販売を行う中で、軽音楽部には目標とする学校外の大会がないことを知ったスタッフが、大阪郵便貯金会館を貸し切って軽音楽部のための発表会を開催し、9校が参加。定員800名のホールは出演校の部員や保護者で満員となりました。これが現在も続く「スニーカーエイジ」の第1回目です。
▲プログラム表紙(1994年)
その後も関西を中心に大会を続けてきましたが、37年目にあたる2016年、初の「関東大会」を実施。これを皮切りに、徐々に開催エリアを拡大し、2021年には各地域ごとに行っていた大会を全国大会化しました。
「全国ネットでのTV特番放送」「男性ボーカルグループ『GRe4N BOYZ』によるテーマソングの書き下ろし」など、メディア・アーティストにも応援をいただき、2022年にはグランプリ受賞校に文部科学大臣賞が授与されるようになりました。
第1回大会から40年以上経った今も、「バンドの大会ではなく、軽音楽系クラブの大会」というコンセプトを大切に、運営を続けています。
"大人も楽しめるエレクトーン教室" 心斎橋店「ハーモニーパーク」開設。
1980年、エレクトーンの実演と販売、レッスンの場を備えた「エレクトーンハウス」を心斎橋店で開始、現在も心斎橋店1階で行われるエレクトーンのデモンストレーションのスタイルは、これが始まりです。
1983年には、同じく心斎橋店の3階と4階を、「ハーモニーパーク心斎橋三木」というエレクトーン・ピアノの専門教室に改装します。
当時、小さな子ども向けの教育楽器という印象が強かったエレクトーンを大人の方にも楽しんでいただくため、レッスン仲間と交流できるカフェカウンターの設置や、仕事終わりなどにも気軽に通えるチケット制を取り入れるなどして、「ハーモニーパーク心斎橋三木」は『大人が、気軽に、身近にエレクトーンを楽しめる場所』として浸透していきました。
同時期に、プロミュージシャンによる心斎橋店内ミニライブ「Live At Miki」をスタート。エレクトーンのビギナー層から講師・プレイヤーまで、幅広い層のエレクトーンファンの皆様にご来場いただいています。
本社屋「大阪開成館」が国の登録有形文化財に。
創業100周年を記念して1925年に完成した、三木楽器本社ビルの大阪開成館が、
1997年に国の登録有形文化財になりました。
大阪開成館は、老朽化対策のための大規模改修工事などは行ってきましたが、主立った外観は1925年の建設当時のままの姿を残しており、太平洋戦争の戦火を生き残った大正時代の貴重な建築物として、今でも見学に来られる方もいらっしゃいます。
二十一世紀を目前に控えての誓いと、新たな事業へのチャレンジ。
1999年、当時、楽器店での取り扱いが珍しかったDJ機器の扱いを開始。
これまで大阪にはなかったDJ機器専門店「DJ'S」をアメリカ村の心斎橋ビッグステップに出店します。
また、本社ビルのリニューアルを行い、1階にピアノ販売フロア、2階にコンサートホールを設置。ピアノ専門店へと姿を変え、「開成館」と名付けました。
「開成館」は旧来「本の出版・卸・販売」を行う「書籍部」の名称だったもので、書籍商として始まった三木楽器にとってとても大切な名前です。
これを、ピアノ専門店の名前として使い、音楽ビジネスに社運を賭けることを改めて誓ったのでした。
多彩なジャンルの音楽を学べる"大人の音楽教室"「MIKIミュージックサロン心斎橋」をオープン。
管楽器や弦楽器、ギター、ゴスペルコーラスを筆頭に、あらゆるジャンルを網羅するレッスンと、シックな内装や利便性の高い立地で、大人向けに特化した「MIKIミュージックサロン」が2000年にスタートします。
音楽教室といえばお子様向けのイメージが強かった中で、大人向けの音楽教室を当時135坪・西日本最大級という大規模に展開することは大きなチャレンジでしたが、多くのお客様にご愛顧いただきました。
今では拠点を増やし、心斎橋に加えて、梅田・西梅田・なんばパークス・三宮のあわせて5会場で教室を展開しています。
海外の商品買い付けの重要拠点。アメリカに現地法人を設立。
2002年、アメリカ・カリフォルニア州に、現地法人「MIKI Musical Instruments USA Corporation」を設立。
これにより、ヴィンテージ品を直接売主から買い付けることができるようになりました。また、アメリカ各地のギターショーなどでも買い付けを行い、国内の三木楽器で販売するギターや、「フェンダー・ローズ」「ウーリッツァー」などのエレクトリックピアノ、ドラムなどを仕入れました。
その後も大手メーカーだけでなく、海外の手工家の作品の買い付けも積極的に行っており、現在の三木楽器にとって「MIKI USA」は欠かせない存在となっています。
店舗展開の新機軸。専門店を次々とオープン。
1999年の「DJ’S」出店を皮切りに、「ジャンル専門店」としての展開が進み始めた三木楽器。
「アメリカ村店」は2004年から徐々に、中古ギター、ヴィンテージギターを中心とした商品ラインナップに移行し、現在はエレキギター専門店に。
ライトミュージック系の総合楽器店としてスタートした「梅田店」も、2005年頃からギター専門店の色を強め、梅田店を「GUITAR PRO SHOP」と位置付けています。
また、2009年には梅田店のドラムフロアを、ドラム・打楽器専門店「Drum Center」として独立。
2014年に低音管楽器の専門店「LOW BRASS CENTER」を出店するなど、専門知識に富んだスタッフと、幅広い商品ラインナップやイベントの企画で、それぞれの楽器ユーザーの皆さまに、より深く楽しんでいただくための店舗展開を進めていきました。
▲DrumCenter(左)とLOW BRASS CENTER(右)
旗艦店・心斎橋店建て替え。「総合楽器店」から、新たなステージへ。
長年に渡って、三木楽器の旗艦店としての役割を担ってきた心斎橋店を、老朽化に伴って建て替えることに。
2016年、楽器部創設時から取り扱っている鍵盤楽器をはじめ、管楽器、ライトミュージック系楽器、楽譜など、様々なジャンルの楽器が集まる「総合楽器店」としての役割に幕を下ろします。
この建て替えを機に、心斎橋店内の各フロアを独立させ、2016年に「MIKI BASS SIDE(ベース専門店)」「Acoustic INN(アコースティックギター・ウクレレ専門店)」「Wind Forest(管楽器専門店)」と、各ジャンルの専門店をオープン。
▲Wind Forest(左上)Acoustic INN(右上)とMIKI BASS SIDE(下)
また、心斎橋店は2018年11月に建て替え工事を完了し、ピアノ・エレクトーン専門ショップ・スクールとしてリニューアルオープン。
エレクトーンファンの聖地ともいえるエレクトーンハウスでのデモンストレーション演奏は、建て替え前と同じ場所で再開しました。
東京・御茶ノ水エリアに「Smalls guitar shop」出店。
2023年、東京・御茶ノ水エリアに「Smalls guitar shop」を出店。三木楽器としては創業198年ではじめての東京への出店です。
▲Smalls guitar shop
世界のトップルシアーがつくる手工品、世界中から集めた良質なヴィンテージなど、魅力あふれるギターを最高のコンディションで提供することにこだわって、小さいながらも三木楽器らしさを詰め込んだギター専門店が誕生しました。
現在、「Smalls」が、三木楽器の新たな出会い・チャレンジの拠点になりつつあります。
そして2025年、200周年を迎えました。
時代の変化や、生活者のニーズにあわせてスタイルを変え、より良いもの、より楽しんでいただけるものを追及してきた三木楽器。
これからも、スタッフ一人一人がこれまでの歩みをリスペクトし、さらなる成長を、ともに作り上げていきます。
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