株式会社京進

創業50周年を迎えた京進が歩んできた「絶えざる革新」。京進グループ全体で手を取り合い、化学変化を起こすことが新たな価値を生む。

2025年03月03日

学習塾から始まり、保育事業や介護事業など、幅広く事業を展開する株式会社京進は、2025年で創業50周年を迎えます。事業を多角化させてきた理由やその裏にある想い、そして社会の変化に応じて「絶えざる革新」を続けてきた京進の歩みを、取締役企画本部長の樽井みどり、取締役第一運営本部長の田中亨に振り返ってもらいました。


左から取締役第一運営本部長 田中亨、取締役企画本部長 樽井みどり

時代の社会課題に合わせて事業を多角化してきた京進の歴史

――2025年、当社は創業50周年を迎えます。まずは創業時からの歩みについて振り返ってみたいと思います。最初の一歩は学習塾「京都進学教室」の創設ですね。


樽井:ええ。現在の名誉会長が「社会貢献をしたい」という想いを抱き、その入口として教育の意義に目を向けたことからスタートしています。その塾をいかに拡大させていくのかを考え、地域展開、全国展開を進めていきました。それと合わせて、指導形態も変化していきます。京進が個別指導に着手したのは1991年で、これは業界内でも相当早かったのですが、研究や多店舗展開の準備を行った後、1999年から本格的に拠点増加のスピードを加速しました。そこから10年弱で157教室の開校に至っています。

               創業当時の授業風景


――学習塾の拡大だけではなく、1998年以降は英会話や日本語教育、保育事業、さらには介護事業とかなり事業の幅を広げています。事業の多角化にはどのような想いがあったのでしょうか。


樽井:組織価値観の根底には「絶えざる革新」があり、昔から「人づくり」を言い続けていました。私が入社した当時から社内では「改善ではなく、革新」と言われていました。革新を続けなければ、企業が生き残ることができないという想いが根本にあったのでしょう。



事業の多角化は、すべてこの「革新」や「人」への想いがあってこそです。誰かが困っている社会課題を、いかに解決するのか。保育事業は待機児童問題の解決を目指して始めたものですし、英会話事業は、”国際化社会”から”国際社会”と言われるようになり、英語指導の必要性がさらに増したことから生まれたものです。少子化による労働人口の減少の流れから、外国人材の活用が言われ始める前から、当社では国際人材交流事業を始めていましたし、介護事業は言わずもがな、高齢化を見据えて始めたものとなります。

「会社」としての質向上を目指して

――1999年には、上場という節目を迎えます。その後、翌年の2000年には日本経営品質賞の獲得のための取り組みも開始しました。当時、社内ではどういった変化があったのでしょうか。


樽井:上場し、株式を公開するべきだという話は、私が入社した際の説明会から出ていました。上場して大きく変わったのは社員の採用、市場からの資金流入、会社としての質向上です。特に1番変化が大きかったのは、優秀な人材を確保する必要のあった社員採用だったかと思います。会社としての質向上は、こうした変化に対応するべく、自分たちで推し進めていった部分が大きいです。


上場時の会社説明会の様子


初期の学習塾は、どうしても個人塾のような風情があったのですが、これからは会社としてしっかり仕組み化していきましょうということで、経営基盤の整備や仕組みづくりを進めました。2000年に始めた日本経営品質賞を目指した取り組みも、2004年に導入したアメーバ経営も、経営幹部で話しながら意思決定をしていまして、主担当を私が務めました。


アメーバ経営は、現在の当社グループの3本柱になっているもので、稲盛和夫氏が提唱した考え方です。「みんなに経営者のマインドを持ってほしい」という想いから導入を決めたものなのですが、実はなかなか大変だったんです。というのも、アメーバ経営の考え方の基本が製造業に向けたものになっており、我々のようなサービス業の場合、時間当たりの採算性を数値化して指標にするのが難しいのです。当社で使えるように創意工夫をして、必要に応じて部分的に変更を加えながら、導入を進めました。


――田中さんはちょうど上場後に会社が変わっていくタイミングで入社されていますが、当時の様子についてどう感じられていましたか?


田中:前職でも学習塾に勤めていたのですが、当時は子どもたちに教えることだけが我々の仕事だったため、ものすごい勢いで成長している企業の中でマネジメントについて学び、人の育成にも取り組める経験ができたことは、入社して良かったなと思えるポイントでしたね。



――会社の急激な変化に対して、社員の反応はいかがでしたか。


樽井:色々な反応がありましたね。会社としての成長よりも、塾だけをやっていきたいという考えを持っていた幹部たちの中には、目指す方向性の違いから離れていった人もいます。


上場のタイミングでいろいろなことが変わりましたが、上場は決してゴールではありません。中期経営計画を立て、都度目標や計画を見直し、目標は社員全員に発表しています。創業25周年で行った社員旅行では、2025年にどうなっていたいか、将来のなりたい姿を社員に向けて発表しました。


その後、リーマンショックによる世界不況など、調整を余儀なくされることはありましたが、あのタイミングでみんなの前で「これを目指していきましょう!」と発表したことは良かったのではないかと思います。売上目標のほか、「100の子会社、100人の社長づくり」とも掲げていたのですが、これも着実に近づいてきています。明確な数字で目標があると、到達するためにいくつの新事業が必要なのかを逆算できるんですよね。


田中:目標を共有しているからこそ、新規事業が展開されたり、どんどん事業領域が広がったりしても、社員の納得感があるんです。

親会社が先導するだけでなく、互いを知ること。ブランディングプロジェクトで見えた課題

――2019年には、ブランディングプロジェクト「One vision One Kyoshin」を開始しました。このプロジェクトの経緯についてお聞かせください。


田中:まず、2017年に「人の一生を支援する企業」という言葉が出てきました。ちょうど介護事業が創設されたタイミングで、「人の一生」といえる事業体になってきた時期のことです。ただ、その言葉が独り歩きしてしまい、具体的な意味合いや取り組み内容について、全く合意形成が図れていない状態だったのです。



特に考えなければならなかったのが、途中から京進グループに加わった関係会社でした。関係会社には関係会社の風土や価値観があるわけで、彼らにとって親会社の京進は勝手に現れてきたような存在です。


京進は誠実や謙虚を大切にしている人が圧倒的に多い社風です。M&Aをする際は、こうした価値観を共感し合えるところと一緒になるということを何よりも大事にしていますので、全く価値観が合わないということはありません。


価値観共有のために発行しているグループ社内報GutenTag


とはいえ、「このビジョンに従ってください」となると押し付けになってしまいネガティブな反応も出てきてしまう。しかし、グループとしてのまとまりは醸成していきたい。そのために始めたのが、このブランディングプロジェクトなのです。


活動は2019年から始まり、私が加わったのが2023年の途中です。それまでにビジョンやロゴなどを幹部や現場で働く有志からなるプロジェクトメンバーで決めてきて、「これをどう全体に浸透させていくのか」という話にまで至っていました。ただ、2024年になって、「活動はしているものの、浸透している実感がないな」という反省があったんです。


――それはなぜでしょうか。


田中:プロジェクトメンバーが親会社である京進メンバーだけだったんですよ。いくら話し合ったとはいえ、メンバーが京進の人間だけになってしまうと、結局押し付けから脱せません。「京進のことを知ってほしい」ばかりに力を入れてしまい、相手のことを知ろうとする姿勢が不十分だったと痛感しました。50周年は、京進を知ってもらうだけではなく、関係会社の成り立ちや歩みも知ろう、お互いを知ろうという年にしたいと思っています。


その一環として、京進グループの良さやあゆみを社内外に知ってもらうための50周年記念サイトも作りました。



樽井:京進グループは、事業体が広がったことで、いろいろな方が働いています。これまでは、教育を通じて社会貢献をしたいという想いを抱いた方たちだったのですが、これが業界が変わると大きく変わるんですね。業界の成熟度も異なり、年代層にも違いが見られます。例えば、介護・フードサービス事業では、普段スマホを持たない70代の職員の方が働いてくれていたりするんです。そうした人に、いくらネット上で会社のことを発信したところで、なかなか知ってもらうことはできないでしょう。さまざまな人たちの価値観をどう合わせていくのか、どうグループとしての在り方を浸透させていくのか、一歩ずつ歩みを進め続けています。


田中:これまでは、親会社から関係会社に人を異動させることで、一体感を生み出そうとしてきたのですが、それは人的交流ではありません。関係会社から親会社に行き、幹部になっていくなど、人的交流をどんどん進めていく必要がある。それが50年後、100年後まで生き残っていくグループで求められることだと思っています。



これまで、当社グループでは各事業部の担当者がいろいろなことを考え、決めてきた歴史があります。ただ、社長はよく「今までのスピードでは今後50年はやっていけない」と言っているんです。これからは関係会社の方、他業種の方たちと交わることで新たな化学反応を起こし、親会社の京進だけでは想像もできなかった新たな価値創造ができるのではないかというのが社長の考えです。これが我々の次のミッションだと思っています。まだそのステージに上がれていないのが課題ですね。

ブランディングプロジェクトで生まれたグループアイコン「サンディ」

真面目さ・謙虚さ――日本が大切にしてきた価値観を、先頭で体現し続ける企業でありたい

――ありがとうございます。あらためて、これまで京進に関わってきていただいたステークホルダーの皆様にメッセージをお願いします。


樽井:「生涯顧客」という言葉があります。京進グループのお客様は、まさに小さいときに保育園に通い、学生時代は塾で学んだ子どもが大人になり、そのお子さんが塾に通い、自身が年を重ねたときに京進の介護施設に入るという、生涯顧客になり得るんですよね。介護が必要となったとき、かつてのお客様が「京進が運営しているから行こう」と思ってもらえるのかどうかが、非常に大切だと思っています。


個人的なエピソードとして、姪っ子が自分の子どもを京進の保育園に入れたという話があります。「すごくいい保育園」と言ってもらえたのがうれしかったですね。こういう交流もどんどん深めていきたい。今は大阪など一部地域にしかない介護事業も広げていって、私たちが年を取ったときに入れるところを作ろうよと思っています。


人の一生涯にわたって関係性が続くことがあるのが、サービス業の素晴らしいところなんですよね。ずっとファンでいてくれる方がいる一方で、悪い評判が立つと大きく非難されるおそれもある。見守ってくれてもいるし、厳しい目で見てくれているのがお客様です。お客様、社員含め、「ひとりひとりを大切に」が本当に重要なのだと思っています。


田中:今の樽井さんの話がすべてかなと思います。真面目であること、謙虚であることなど、日本が古来より大切にしてきた価値観は、世界からも称賛されています。個人的にも、会社としても、この価値観を大切にし続けたいです。50年100年と紡いでいくことで、世界から称賛される国であり続けられるよう、先頭を走って体現できる会社でありたいと思っています。





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