日本再生株式会社
古民家トランスフォーメーション(KX)物語 ~やむぬやまれぬX魂~
2025年03月13日
先月末、私とやまぎし棟梁が、デザイン・再生した、古民家トランスフォーメーション(KX)のシンボル建築「承継樓(しょうけいろう)」が、iFデザインアワード2025金賞を受賞し、昨年末のウッドデザイン賞2024奨励(審査委員長)賞とのダブル受賞という栄誉を賜ることができました。
ご参考までに、下はiFデザインアワードに提出された「承継樓」の動画です。
近年DX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉が大流行しています。
実は、私のトランスフォーメーション歴は32年。
私の職業人生は、社会人一年目から、ずっとトランスフォーメーション。
私の生業は、トランスフォーマー(=トランスフォームさせる人。変身するロボットではなく)、すなわち、変革屋です。
私にとって、当たり前で、自然過ぎて、そのため意識することもなく、DXの流行のなかで、ふと思い出したのですが、私がトランスフォーメーションと出会ったのは1993年のことでした。
自分自身が、組織のトランスフォーメーションに、30余年にわたり没頭してきた日本のトランスフォーメーションの草分けであることを、恥ずかしながらDXブームのおかげで、認識するに至りました。
そんな歴史的トランスフォーマーの私が、コロナきっかけの二拠点生活で、古民家に住むようになり、根っからのX(トランスフォーメーション)魂がおさえきれず、自宅をXしてしまいました。
今回のダブル受賞を機に、「やむにやまれぬx魂」で、Xしてしまった拙宅「承継樓」のiF金賞受賞までのKX(古民家トランスフォーメーション)の道のり、裏話等を、ごく一部ですが、ご紹介できればと思います。
題して「古民家トランスフォーメーション(KX)物語」です。
物語は以下の構成となっています
1、きっかけは、ノミも、カンナも、ノコギリも使わない大工さん
2、古民家トランスフォーメーションとは?
3、意識と常識への挑戦 ~二項動態美と超常識の追求~
4、世界で評価されたサステナブル・ウエルビーイング
それでは、物語りをはじめさせていただきます。
1、KXのシンボル建築「承継樓」誕生のきっかけは、ノミも、カンナも、ノコギリも使わない大工さん
久しぶりにノミを使うSさん
「ノミ使うの久しぶりだぜ!」
大工Sさんの生き生きした声に耳を疑いました。
古民家改築が始まって間もなく、2023年3月のことでした。
「ノミが走り出したぜぇ!」
しばらくすると、再び聞こえた同じ声に、不安が高まりました。
ノミも使っていない大工さんに、大切な改築を任せることはできない!
慌てて、やまぎし棟梁に相談しました。
なんと、やまぎし棟梁は、技能五輪で日本一に輝いた凄腕の大工さんです。
やまぎし棟梁の話を聞いて驚きました。
Sさんは、カンナの薄削りの技を全国で競う、腕にこだわりと自信のある、一流の大工さんだということ(Sさん、はやとちりで、不安がってすみませんでした)。
現代の大工さんの仕事は、プレカットされた木材を組むことに変わってしまったこと
そのため、Sさんに限らず、大工さんは、ノミだけでなく、カンナも、ノコギリ(電動ではない手動のこぎり)も使わなくなってしまったことを、知らされたからです。
中学の「技術」の授業以来、これら3種を、大工仕事に不可欠な基本の道具と認識していた私には、衝撃の事実でした。
2020年12月、日本の伝統建築工匠の技が、ユネスコの世界遺産に認定されました。
「日本再生」を社名に掲げる弊社としては、嬉しく、誇らしいことでした。
しかし、世界中がコロナの真っ最中で、命の危機と、自粛のなかで、この嬉しいニュースは、ひっそりとしか報じられませんでした。
世界最古の木造建築は、法隆寺(670年~700年頃建造)であることが知られています。
更に、実は世界トップ10どころか、幾百千も下の順位まで、日本の木造建築で独占されると推察されます。
どれくらい下までの順位か、数えられないほど多く、世界の歴史ある木造建築の上位は、日本の木造建築で占められてしまうのです。
「科学ミステリー」よると、法隆寺以下、世界の古い木造建築のトップ10は以下のとおりです。
- 2位 法起寺(706年頃)
- 3位 薬師寺 (730年)
- 4位 海龍王寺 (745年)
- 5位 新薬師寺 (747年)
- 6位 當麻寺 (750年頃)
- 7位 手向山八幡宮 (752年頃)
- 8位 正倉院正倉 (756年頃)
- 9位 東大寺 (758年)
- 10位 唐招提寺 (759年)
西欧最古が1278年(ベツヘルムの家)、中国最古が1056年(応県木塔)とのことです。
世界10位の唐招提寺が759年ですから、最低でも759年~1056年の約300年間に建造された幾百千もの日本の木造建築が、全て上位にランクインすることになります。
また、日本は、百年企業が世界で最も多いことでも有名です。
そんな世界一の「サステナ企業国」日本には、千年続く企業が12社あるそうです。
なかでも、最も古いとされるのが、法隆寺の創建にも関わったとされる金剛組 (578年創業)です。
日本の伝統建築は、世界では比較対象のないほど、ダントツにサステナブルな建築技法を有し、金剛組をはじめとする、大工他建築関係の職人さんたちが、その技を継承し続けててきたことがわかります。
だからこそ、なおさら、大工Sさんの言葉、やまぎし棟梁の説明に、驚愕!唖然!なのです。
日本中の大工さんが、ノミも、カンナも、ノコギリも使わなくなっている…
となると、世界遺産に認定されたばかりの日本の伝統建築工匠の技は、既に過去のモノとなり絶滅する⁉
世界に誇る歴史的木造建造物を修復し、維持できる人はいなくなる⁉
日本の建築現場には、もうノミ、カンナ、ノコギリを使う場がない…
そう考えると、日本の伝統建築工匠の技を実践し、継承できる場は、寺社建築以外には、古民家再生現場しかなくなっているのではないか?
もし、そうであれば、日本の伝統建築工匠の技継承の場として、古民家再生現場を増やす必要がある!
これが、改築中の古民家をモデルハウスとした、新しい事業を立ち上げる必要性を痛感したきっかけでした。
こうして、大工Sさんの言葉をきっかけに、日本伝統建築工匠絶滅の危機感から、「やむにやまれぬX魂」が始動し、建築分野におけるトランスフォーメーションへの新たな挑戦が始まりました。
古民家を事業的な観点で眺め始めると、日本の伝統建築技術の継承以外にも、空き家問題や地域の衰退、製材業や林業の衰退、建設業界の廃棄物処理など、様々な社会課題が浮かび上がってきました。
これらの課題認識に基いて、2024年夏、以下5つの社会課題の複合的解決を志して、日本再生株式会社として、新潟県の上越市を拠点に「たいせつ古民家®」事業を開始しました。
- 伝統建築工匠の技の承継
- 空き家問題
- 上越後地域の活性化
- 炭素排出低減
- 林業/製材業再生
(たいせつ古民家®のブランドストーリーについては、たいせつ古民家®ウェブサイト「ブランドストーリー」をご参照ください。)
そのたいせつ古民家®事業の古民家再生第1号物件を、シンボル建築兼モデルハウスとし、以下の目的を反映させるべく、「承継樓」と命名しました。
- 古民家再生の現場を、大工、左官、建具、畳、組子、網代、和紙、製材等日本の伝統建築工匠に関する職人と事業者にとっての、技能承継の場として積極活用し、その場を拡大する
- 地域に受け継がれてきた古民家と、そこでの暮らしや周辺環境を、将来世代に承継する
次に、承継樓の改築プロセスのなかで、再生古民家の新しいビジョンを具現化し、「シン・古民家®」と命名しました。
そして、上越後の堅牢優美なたいせつ古民家®を、移改築による再生を通じてシン・古民家®へと生まれ変わらせる、独自の古民家再生法「KX=古民家トランスフォーメーション」を構築しました。
2、古民家トランスフォーメーションとは?
組織のトランスフォーメーションの歴史
今DXが大流行してますから、KXについて考察するにあたり、まず、私が30余年生業としてきた、ビジネスにおける組織のトランスフォーメーション(ビジネストランスフォーメーションともいう)とその歴史について、振り返ってみたく思います。
1993年、私が就職した会社は、世界で初めて、組織のトランスフォーメーションを事業化した経営コンサルティング会社でした。
入社3年目、1995年に出版された”Transforming the Organization”という書籍は、今も、私が仕事で使っているバイブルのうちの一冊です。
ちなみに、採用の最終面接官は、日本企業論の第一人者、アベグレン博士でした。
ジェミニコンサルティングという名のその会社は、ハーバードビジネススクールベースの戦略系コンサルティング会社(MACグループ)と、アメリカのオペレーション系(業務と組織)コンサルティング会社(ユナイテッドリサーチ)と、フランスのIT企業(キャプジェミニ)という戦略、オペレーション/組織、ITの三分野の世界の一流コンサルティング会社が母体となって設立されました。
当時、日本でも戦略系コンサルティング会社のボストンコンサルティンググループ(BCG)やマッキンゼーが、既に隆盛し始めていました。
1990年末、大学の六角堂のような形をした不思議なトイレに、ありえないほど高給なアルバイトの張り紙が貼ってありました。
それは、BCGからの募集でした。
高給につられた私は、BCGで数日間バイトしました。
バイトが終わったら、学生には全く縁のない、豪華なフレンチレストランにご招待いただきました。
今なら、なんだか、危険な香りがしますが、その時はわけもわからず、ホイホイ行ってしまいました。
そこで、BCGの副社長さんから「君は頭は良くないけど、社長になるから採用する」と言われ、大学3年の1月に、おそらく誰より早く就職先ができました。
トイレの張り紙は、闇バイトではなく、今でいう、インターンだったことが分かります。
私は、ただ異常な高給につられた愚かな学生バイトで、大学のOB会の奨学金で9月から1年間、留学することに決まっていたので、悩んだ末、残念ながらお断りすることになってしまいました。
BCGに就職していたら、副社長さんに言われたとおり社長になっていたかどうかはわかりませんし、何より、トランスフォーマーになることはなく、全く別の人生だったと思います。
このころ、戦略系コンサルティング会社が提出する戦略提案書は、クライアント社長の机に置かれたまま実行されない…といったように、戦略コンサルの限界が指摘されていました。
そんな環境下、戦略立案から、ITを活用した業務改革、組織改革の実行までを一気通貫で行うために、前述の3分野における世界の一流企業が成立したのがジェミニコンサルティングでした。
そして、戦略立案から、ITを活用した業務改革(BPR等)、組織変革の実行までを一気通貫で行うフルレンジの経営コンサルティングサービスを、ビジネストランスフォーメーションとして提供し始めたのです。
入社5か月後の1993年9月頭、私は、米欧亜の10数名のコンサルタントによる巨大なトランスフォーメーションプロジェクトに参加するため、成田を発ちました。
その後翌年5月まで、クライアントオフィスの前のホテルに住み込み、毎朝4時に起きクライアントオフィスに徒歩出勤する日々を送りました。
経営陣から実行チームまで多くのクライアントメンバーと一緒になって、巨大なコングロマリットを変革するトランスフォーメーションの全過程は9か月に及びました。
この9か月間、コンサルタントチームには、米マックグループの戦略プロフェッショナル、米ユナイテッドリサーチのオペレーション/組織のプロフェッショナル、仏キャプジェミニのITプロフェッショナルと、世界から3分野の精鋭が集められ、クライアント企業のトランスフォーメーションをサポートしました。
今思うと不思議なことに、私はチームで唯一人の下っ端でした。
例えば、ITのプロフェッショナルは、キャプジェミニのドイツのオフィスから、9か月の後半に参加しました。
ITの導入(今でいう「DX」)は、トランスフォーメーションの後半のステージで行われるからです。
世界最先端の戦略、オペレーション/組織、ITのプロフェッショナルたちと共に、毎日朝から晩まで、彼らから直接学びを得ながら、トランスフォーメーションの9か月の全行程を、最初から最後まで完遂しました。
日本人で初めて、トランスフォーメーションの長期にわたる全プロセスに参画、完遂したことにより、私は、日本初の極めて貴重なノウハウを得ることができました。
そして日本に持ち帰ったのが、トランスフォーメーションと、ファシリテーションと、BPRの本場のノウハウです。
この国際プロジェクトこそが、日本に初めて、本物のトランスフォーメーションと、本物のファシリテーション、本物のBPRが導入された原点だったと言えるのではないかと思います。
そして今回、トランスフォーメーションを日本に導入して以来、30余年に及ぶ、実践と成果、そしてノウハウの積み重ねを経て、「やむにやまれぬx魂」で、建築分野でのトランスフォーメーションに挑戦したのが、「承継樓」というわけです。
古民家トランスフォーメーションとは?
では次に、古民家再生におけるトランスフォーメーションとはどのようなものでしょうか?
改めて、トランスフォーメーションという言葉の定義に立ち返って、考えてみましょう。
実用日本語用語辞典に次のようにあります。
『「transformation」とは変形、変容、変質、変態、形質転換、変換、変圧、変流という意味を表す英語表現である。品詞は名詞。医療、生物学・科学など様々な分野において使用されている単語であり、昨今では「デジタルトランスフォーメンション」(DX)などといったビジネス用語としても、定着している言葉である。』
元々、医療、生物、化学等で使用されていた言葉で、例えば、上に「変態」という言葉があります。
これは生物学でいうメタモルフォーゼと同義で、例えば、さなぎがチョウに変身することを「変態」といいます。
即ち、さなぎがチョウに変身するほど、全く別モノになるように、大きく変わることがトランスフォーメーションであると言えます。
承継樓のトランスフォーメーションを「変態」という観点からみてみましょう。
下は、承継樓の中央部の玄関ホールの写真で、右がBeforeKX、左がAfterKXです。
いにしえ返り
ビニールクロスで床、壁、天井が全て覆われた昭和の空間が、床と右の壁面の位置だけが同じで、他は跡形もなく、「変態」したのをご確認いただけると思います。
承継樓では、デザイン、機能、快適性をはじめとするあらゆる面で、「変態」と呼ぶことのできるレベルを実現しています。
「変態」を、再び、ビジネスの文脈に転じれば、トランスフォーメーションは、日本企業の得意な「改善」ではなく、「変革」という言葉が適切であろうと思われます。
実際に、ビジネス文脈では、トランスフォーメーションには、「変革」という訳語が充てられることが多いです。
では組織のトランスフォーメーション、すなわち「変革」と呼べるほど劇的に組織を変えるための鍵を握る本質は何か。
変革の度合いが大きければ大きいほど、困難なものとなる、その原因の本質は何か?
即ち、トランスフォーメーションの成否の鍵を握る、本質的な命題は何でしょうか?
変革がどんなに正しいもので、組織にとって必要不可欠なことであっても、どんなに素晴らしいデジタル技術を伴った画期的なものであっても、そういった理屈をどれだけ頭で理解できていても、その変革をつぶしてしまう、極めてやっかいなものがあります。
極めてやっかいであるからこそ、トランスフォーメーションの成否の鍵を握る、最も重要な要素と言えます。
それは、人間が生来持つ、変化を拒む「意識」と「常識」です。
変化を拒むことは、わたしたち人間の極めて自然な反応です。
これまでの常識、現状維持、前例踏襲にこだわるのが、人間として、自然なのです。
どれくらい自然かというと、自然科学の物理学「慣性の法則」に例えられるほど、自然なのです。
慣性の法則とは、「物体に外から力が働かない、もしくは力がつり合っている場合、そのままの状態が続くこと」(Lab BRAINSより)をいいます。
変化に対して、「変える必要はない」「変えたくない」「変わりたくない」という慣性の法則が、働くことは自然なことなのです。
通常の住宅建設に比べて、古民家再生は、その古さと新しさの二項対立的なテーマの特性から、乗り越えるべき、「意識」と「常識」の壁が高く、多く存在するのかもしれません。
実際に、承継樓のトランスフォーメーションは、「意識」と「常識」へのワクワクするチャレンジの連続でした。
そこで今回は、その「意識」と「常識」に焦点を当てて、承継樓のKXの具体的な事例について、いくつか触れてみたいと思います。
3、意識と常識への挑戦 ~二項動態美と超常識の追求~
二項動態美
DXが、事業や組織を対象としているのに対して、KXのトランスフォーメーションの対象は建築物です。
そのため、KXにおける意識面での第一の挑戦は、建築に携わる設計者、施工者、施主らの美意識に関するものになります。
美意識について、辞書(精選、日本国語大辞典)に、以下のようにあります。
『美に関する意識。美しさを創造・受容する心の働き。また、何をもって美しいかをきめる基準や考え。』
何を美しいとし、何を美しくないとするか。
KXは、この美意識へのチャレンジから始まります。
そして、KXの中核を成す美意識は、「二項動態美」の追求であると言えます。
KXが追求する「二項動態美」には、以下のサブテーマがあります。
1、いにしえ返り: 戦後の美 vs 戦前の美
2、あらわし美: 隠す美 vs 見せる美
3、ゆがみ美: 直線美 vs 曲線美、ゆがみ美
4、古民家イノベ: 新技術 vs 伝統建築
5、シン・陰翳礼讃: 明 vs 暗
6、東西美: 東洋の美 vs 西洋の美
<いにしえ返り ~戦後と戦前の美意識~>
承継樓のKXの特色の一つ目は、「いにしえ返り」と呼ばれる再生技法です。
KXの様々な場面において、戦後のコスト重視の大量生産大量消費社会化による美意識の大転換を痛感させられます。
戦後の美意識と、戦前の美意識の二項動態美の新たな追求法が、「いにしえ返り」です。
先にお見せした玄関ホールは、まさにこの「いにしえ返り」の事例です。
昭和時代にリフォームされ、全てビニールクロスで覆いつくされた低い天井、壁、床で構成される狭い空間が、奈良~江戸期の木造建築の堅牢な構造と造詣が美しい、開放的な吹き抜け空間に生まれ変わりました。
「いにしえ返り」には、「復原美」「復元美」「復刻美」の3種があります。
「復原美」は、戦後のリフォームで原状が失われたが、現存している構造美や造詣美をもとの形、状態に戻すこと
「復元美」は、戦後リフォームで消失した、元々そこに存在していたであろうことが推察される、構造美や造形美を復活させる美
「復刻美」は、元々その古民家にもなかった、戦前の伝統建築の構造美や造詣美を、新たに創造して、加えること
まず、「復原美」には、「改修復原美」と「あわらし復原美」があります。
「改修復原美」は、戦後意図的に形状に変更が加えられたり、傷んだり、壊れたりした構造や造詣を修復、修繕することです。
例えば、承継樓のKXでは、建具類や和室の床、柱等を修繕しています。
「あらわし復原美」は、戦後のリフォームで隠されてしまった、元々その古民家に存在していた構造美や造形美をあわらしにして見せる美です。
例えば、承継樓では昭和30~40年代のリフォームで、立派な欅の柱も、白いビニールクロスなどで覆い隠されていました。
今回のKXでは、ビニールクロスを全て剥がし、長年大きな建物を支えてきた、立派な柱を、観て、触れ、愛でることができるようになりました。
次に、「復元美」の事例には、囲炉裏があります。
茅葺屋根の下、床から4.3メートルほどの高さにある梁に穴が開いていた位置から、その下に囲炉裏があったことが推察されました。
おそらく、その囲炉裏は戦後のリフォームで、板の間をビニールクロス張りの床に変えた際に、消失していました。
今回のKXでは、元々あったであろう位置に囲炉裏を復元し、元々吊るされていたであろう梁の穴から、やまぎし棟梁手製の竹筒の自在鉤を吊るしています。
最後に「復刻美」です。
承継樓のKXにおける「復刻美」の代表的な例としては、法隆寺にある「卍崩し」と呼ばれる欄干(上の写真の中央から左)や、桂離宮にある「大下地窓」などがあります。
これらは元々この古民家には存在しなかったものを、KXで新たに創造しました。
日本の伝統建築工匠の技を承継する場の「承継樓」のシンボルとなるように、世界最古の木造建築である法隆寺にある象徴的な「卍崩し」のデザインを復刻することは、とても大切で、意味あることでした。
また玄関を入ってすぐ左に創った大下地窓は、国宝である桂離宮の大下地窓より、更に大きくすることで、日本一大きな下地窓になることを意図しました。
いずれも、やまぎし棟梁の技なくしては、実現しませんでした。
いにしえ返りの詳細については、たいせつ古民家のシン・古民家🄬再生技法の「いにしえ返り」をご参照ください。
<あらわし美 ~隠す美と見せる美~>
何を隠し、何を見せるのか。
その二項動態美の新たな追求法が、「あわらし美」です。
「あわらし美」には、以下の2種類があります。
1:「あわらし復原美」(前述):戦後のリフォームで隠した構造、造詣等をあわらしに戻す
2:「シン・あわらし美」:戦前においても、あわらしにせず、敢えて隠した構造、造詣等を、令和の今、敢えて、あらわしにする美
承継樓における「あわらし美」には、例えば以下のようなものがあります。
- 茅葺のあわらし
- 梁のあわらし
- 柱のあわらし
- 竹小舞のあわらし
- ほぞ穴のあわらし
- その他、大工さんの手仕事のあらわし
茅葺の「あわらし美」
承継樓の旧母屋は、茅葺屋根の合掌造りです。
屋根の外面にはトタンが貼ってあり、外から茅を見ることはできませんが、内側からは見事な茅葺を観ることができます。
この茅葺空間に最初に足を踏み入れたのは、私が古民家デザインの師と仰ぐ、カールベンクスさんです。
2021年11月と12月にご来訪いただきました際に、カールさんは、屋根裏へと軽快に上がって、その茅葺細工の美しさを褒めて下さいました。
承継樓のKXでは、せっかくカールさんが褒めて下さった茅葺屋根を、隠し続けるのではなく、あわらわしとしました。
KXを経て、現在は、3か所から茅葺を観ることができるようになりました。
そのうち1か所からは、間直に観て、手で触れることができるようしました。
1か所目は、15畳の和室です。
天井が貼ってあり、全く見ることができなかった茅葺を、東側部分のみあわらしにし、間接照明を当て、夜もよく見えるようにしています。
和室に貼られた天井を解体してみると、棹縁を外した箇所だけが、日焼けの水着のあとのように、元々の木の色が白く残り、残りは全面的に煤で茶色く変色していました。
また屋根裏にあがると、和室の天井の上に、なんと数十センチもの煤の層ができていていました。
これらのことから、囲炉裏を使用していた戦前から、既に天井が貼られていたと推察されました。
時代を戦前から更にさかのぼった大正、明治、江戸期ごろに、天井が貼られていたかどうかは、不明です。
そのため、戦後の時間軸で見た場合、この「あらわし美」は、「シン・あらわし美」と言えます。
即ち、戦後の建築常識を超えた、超常識美です。
そのため、戦後生まれのやまぎし棟梁は、和室の茅葺をあわらしにしたいという私の意見に、最初違和感を持たれたようでした。
しかし、やまぎし棟梁は、比較的すぐに、私の考えをご理解くださいました。
天井を貼る位置を、棟梁が想定していたよりも更に高くし、茅葺をあらわしにし、そして、茅の落下防止の処置をしてくださいました。
茅葺の「あらわし美」の2か所目は、玄関ホールです。
前述の囲炉裏のある玄関ホールの天井を抜き、茅葺屋根まで高く抜ける吹き抜けにしたことで、茅葺を仰ぎ観ることができます。
この茅葺は、色と明るさを自由に調光できる間接照明で、照らせるようにしています。
囲炉裏のあったこの空間の茅葺は、戦前はあらわしだったと推察できます。
元々見えていた茅葺屋根を、戦後天井を貼って隠したものですから、「復原あらわし美」に該当します。
茅葺の「あらわし美」の3か所目は、茅葺ロフトです。
前述の15畳の和室に元々はられていた天井を解体し、その解体した天井の高さから約1メートル上の位置に、新たに格天井をはりました。
その格天井の上が、同じ15畳の広さのロフトとなっています。
茅葺屋根直下に新設されたロフトのこの空間では、茅の葺き方、縄細工、竹細工の精緻さや、扠首の免震構造に至るまで、間近に観ることができ、さらには、手で触れることもできます。
埃が数十センチも積もった屋根裏の空間を、大工さんが綺麗に掃除してくださったことで、このような貴重な体験ができる場ができあがりました。
梁の「あわらし美」
天井を解体したり、位置を高く上げることで、隠れていた立派な梁を現しにしたのは、15畳の和室、玄関、玄関ホールの三か所です。
・和室にあらわれた太い梁
元々の天井の上に、太い立派な欅の梁が二層の井の字型に組まれていましたので、それを全てあわらしにしました。
・玄関にあらわれた太い梁
玄関の天井裏からは立派な欅の梁が出て来ました。和室より新しい時代、それも囲炉裏がなくなったあと構造と推察され、天井に隠されていたため、欅の木の色が若いです。これが玄関の屋根に積もる膨大な雪の重みを支えます。
他にも、戦後のリフォームでビニールクロスで覆われていた立派な欅の柱をあわらしにしたり、解体中に土壁の中から出てきた竹小舞をあわらしにして、大下地窓にしたりしています。
解体により各所に現れたほぞ穴をそのまま現しにし、柱を移設する際には、ほぞ穴を良く観ることができる方向に向けて設置しました。
その他、大工さんの手仕事の「あわらし美」については、いにしえの大工さんの手斧(ちょうな)のあとをあらわしにしたほか、今回KXでの大工さんたちが手掛けた込み栓や、鵯(ひよどり)栓についても、敢えてカットせず、長いまま残してもらいました。
また茅葺ロフト部の奥には、「大栓展示室」のような、古民家通にとっての萌え空間があります。
この写真の空間は、仏間と書院の天井裏の屋根裏にあります。
そのため、人の目にふれないことから、昔の大工さんたちは、大栓を短く切って処理するせず、打ち込みっぱなしのままにしたのではないかと推察しています。
茅葺から、ほぞ穴、大栓、込み栓、鼻栓等まで、本来大工さんら職人にとっては、隠すべきものを敢えて見せるという考え方は、最初はやまぎし棟梁や大工さんたちに不思議がられました。
しかし、徐々にご理解いただけるようになり、「あらわしの美」の創造に、積極的にお力添えいただけるようになりました。
<ゆがみ美 ~直線美と曲線美、ゆがみ美~>
ゆがむという字は漢字で「歪む」と書きます。
正しいことを意味する正の字の上に、それを否定する不の字があり、つくづく漢字はよくできていると感じます。
直線美を「正」とすれば「不正」が曲線美、ゆがみ美と言えます。
承継樓の中は、ゆがみと曲がりだらけです。
KXによって、ゆがみと曲がりが更に増えました。
やまぎし棟梁は、ご自身いわく、曲がり材が病的にお好きです(笑)。
そのため、次から次へと曲がった古材を運び込んでこられ、梁はもちろんのこと、柱や、渡り廊下のように、本来直線でなければならないところまで、まざまな箇所に使用しました。
曲がった古材を柱として活用
建材が直方体でなく、線や面がゆがんだり、曲がったりしていればいるほど、その建材に関わる加工や作業に何倍、何十倍もの手間と時間がかかります。
機会でまっすぐに加工された木材に慣れた大工さんだけでなく、左官さん、内装、塗装などの職人さんたちにとっては、うんざりするような煩わしさでしょう。
例えば、今の時代、階段をプレカットでつくれば1日もかからないと思います。
ところが、承継樓の玄関ホールの階段は、一流の大工さんが約3週間がかりでつくりあげました。
丸太に近い形を半分に割ったブナの古材を簓桁(ささらげた)に使用し、その割れたブナの古材の不規則な断面に合わせて、堅い欅の踏板を、一枚一枚手作業で加工しながら階段を製作したためです。
曲がりには、その見た目の面白さや美しさ以外に、建築物の構造面での強度を高める高価もあります。
上越市の西部地域から糸魚川市で使われる鉄砲梁が、その代表的な例です。
承継樓のKXでも、良く曲がった鉄砲梁が数本使われています。
<古民家イノベ: 伝統建築 vs 新技術>
例えば、承継樓のKXで導入された新技術の一つに、イタリアfalmec社製のIHがあります。
フェラーリのような美しいデザインかつ、4つ口下引きの高機能、使い易さを極めたユーザーインターフェースとメンテナンスを実現した、世界最高レベルのIHを、日本で唯一導入しているのが承継樓です。
下引きのIHが、古民家の美しい空間にそぐわないレンジフードを不要にし、北海道産タモの木目が美しいオーダーキッチンとの新結合による調和は、キッチンの究極美と言えるでしょう。
このオーダーキッチンも、やまぎし棟梁の傑作です。
他にも、承継樓は、寒冷地でありながら、外窓にペアガラスやトリプルガラスを使っていません。
日本板ガラスが開発した世界初の真空断熱ガラスを改築した建物のほぼ全体に、非常に多く使用しています。
ペアガラスやトリプルガラスを使うと、窓枠も分厚くならざるを得なくなります。
承継樓では、薄い真空断熱ガラスと木枠の窓の額縁の新結合が創り出す、室内からの妙高山と田園風景の絵画のような美しい景観が、特色の一つとなっています。
他にも、新幹線のグリーン車のフットレストに使用されているカーボンファイバー式床暖房と、阿波檜のフローリング材との新結合など、世界の先端技術と古民家の伝統木造建築の古民家イノベの事例が多くあります。
古民家イノベの詳細については、たいせつ古民家のシン・古民家®の再生技法「古民家イノベ」をご参照ください。
<シン・陰翳礼讃: 明暗の美>
「陰翳礼讃(いんえいらいさん)」は、谷崎潤一郎が、雑誌「経済往来」で1933年12月号から連載した随想評論です。
陰翳礼讃とは文字どおり、陰翳を敬い褒め讃えることです。
そして、この陰翳とは、光の直接当たらない暗がりのことですが、真っ暗な闇ではなく、光の存在をわずかに感じる、ぼんやりとした薄暗がりの状態を意味します。
日本の伝統的な生活様式に、電灯という西洋文明の利器が侵入してきた近代化によって生ずる、美的な不調和を谷崎は嘆きます。
蝋燭からランプ、ガス灯、電灯へと、絶えず明るさを追求し、陰を消そうとしてきた西洋文明に対して、日本の伝統文化には暗がりの中に美を求める美意識があるとしています。
電灯がなかった時代の日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の神髄を知っていた日本人の芸術的な感性に着目し、衣食住から芸能等に至るまで、様々な角度から論じています。
承継樓では、古民家ならではの優美な造作と、LEDや太陽光発電などのサステナブルな光源を新結合することで、令和の「シン・陰翳礼讃」を創造、提起しました。
承継樓のシン・陰翳礼讃は、以下の3種により構成されています。
古民家ならではの造作に、最適で多様なLEDを新結合した間接照明による陰翳礼讃
・長押、ほぞ穴、下地窓、火頭窓、書院窓、格天井、欄間、燈籠等の古民家ならではの造作に、それぞれの照明の場所や形状、目的に合わせた最適なLEDを組み合わせて仕込むことで、玄関の内外、和室、客間、リビング、廊下、トイレ、屋根裏等各所に、多種多様な間接照明を配備しました。
例:長押の裏、鴨居の溝などの狭く長い場所や、約4mの渡り廊下の古材の長く曲がった縁等に、それぞれ最適な各種のバーライトや、テープライトを活用しました。
例:燈籠には炎の揺らめきを表現できるLEDを活用しました。
・LEDの光を、筬欄間や竹小舞、石目硝子、組子硝子、レトロ硝子などの硝子や障子を透したり、光を網代天井や、茅葺等に映し出すことで、間接照明による繊細な美しさを追求しました。
・スライド式リモコン等による無段階調光可能なLEDにより、明暗と色の寒暖を自由かつ微細に表現可能にしました。
明暗/人感センサー自動点灯式太陽光発電LED灯によるサステナブルな陰翳礼讃
・明暗センサー自動点灯式太陽光発電LEDの光が、門出の手漉き強化和紙に灯る令和の辻燈籠を創りました。
・明暗&人感センサー自動点灯式太陽光発電LEDを、バルコニーの胴差の渡り顎や支柱のほぞ穴に設置しました。
・夕日と朝日の差し込む箇所に、格子障子戸、組子戸等を配置し、元来の陰翳礼讃の美を追求しました。
シン・陰翳礼讃の実際の事例については、たいせつ古民家のシン・古民家🄬再生技法「シン・陰翳礼讃」をご参照ください。
<東西美: 東洋と西洋の美意識>
下の写真は、一階トイレのものです。
神大碁目網代天井、珪藻土のぬり壁、浮造りの腰板などは和のデザインです。
一方、真鍮のブラケットライト、花形のガラスの電笠、そして、そのガラスに描かれた葡萄の柄は、洋のデザインです。
細かい部分では、スイッチカバーは洋、ペーパーホルダは、和風の陶器に洋風の絵柄が描かれています。
このような和と洋の美の二項動態を、敢えて創り出しているのも、承継樓のKXの特徴です。
超常識の追求
「二項動態美」の追求に次ぐ、KXの第二の追求テーマは、「超常識の追求」です。
超常識の追求事例として、承継樓の2つのトイレについてご紹介します。
<超常識トイレ>
承継樓には2つのトイレがあり、どちらも常識はずれです。
1階のトイレは、換気扇が非常識な位置についています。
2階のトイレには、換気扇がありません。
きっかけは、1階のトイレの美しさ、デザインにこだわったことでした。
やまぎし棟梁も、「せんちゃ大工」(おそらく上越弁、標準語では「せっちん大工」)という言葉があり、トイレしか作れないのは、腕の悪いダメ大工とされていることを教えてくださいました。
だからこそ、トイレこそ手を抜いてはならないのだと。
1階のトイレの床に目を向けると、自然塗料で黒檀色に塗装した無垢の檜木の床板の周囲に、杉の磨き丸太を加工した巾木が巡らされています。
巾木の上には、欅の廻り縁で囲われた杉の浮造りの腰板が、ぐるりと四方の壁面下部を覆うように張り巡らされてています。
目線を更に上げると、欧風の小さな菱型小窓を2つ縦並びに開けた昔風の板戸と、陶器にゴールドのペーパーホルダ、ベテラン左官職人の手塗りの薄緑色の珪藻土の壁に、ゴールドのアンティーク調スイッチカバー、すりガラスに葡萄模様がエッチングされた花の電笠と、ブラケットライトの真鍮も美しいです。
見上げると神大碁目網代天井…と、トイレに座っているだけで愉しくなる空間です。
そんな美しさを追求したトイレ空間で、換気扇を目立たせず、隠したい…ただそれだけのこだわりで、ヘンクツ魂が動き出しました。
なぜトイレの換気扇は高くて目立つ位置にあるのか?その理由は何なのか?
そうしたそもそも論の疑問から、換気扇の吸気・排気対象であるトイレの臭いについて調べました。
その結果をまとめたのが下の表です。
調査の結果として「便・放屁直後に、空気に対して比重の重い成分を無理に天井に吸い上げることは、悪臭をトイレ内に拡散・蔓延させ逆効果。換気扇を付けるのであれば、トイレの下方であるべき」という結論を導き出しました。
すなわち、換気されなければならない、便と屁の臭いは、トイレの上方ではなく、トイレの下方にたまります。
それなのに、なぜわざわざ、下にたまっている嫌な臭いを、便座に座っている本人の鼻へ向けて上に引っ張り上げて、臭いを嗅がせ、トイレに拡散させているのだろうか?
疑問はますます深まりました。
そこで換気扇のトップメーカー三菱電機で、換気扇を製造する岐阜県の中津川製作所の方に質問してみました。
すると、
換気扇がトイレの壁の高い位置に付けられている理由は、小さい子供が手を入れて怪我をすることを防止するためである
との回答を頂戴しました。
最終的に、三菱電機の換気扇を便器の斜め後方の低い位置に設置しました。
人が触れることが難しい場所にあります。
そして三菱電機製の換気扇には、手を入れることができないようにカバーがついており、スイッチで自動開閉します。
実は、私が換気扇の設置位置に関する結論を出す前に、既に大工さんが、トイレの壁の高い位置に換気扇用の穴をあけて下さっていました。
そのため、大工さんにその穴を塞いでいただき、新たな穴を便器後方の下にあけていただくという二度手間をおかけしました。
やまぎし棟梁が、トイレにも手を抜かない主義で、本当によかったです。
なお、2階のトイレの便座(TOTOネオレストAS2)には、自動消臭機能が付いており、臭気のたまる下方で消臭してくれます。
そのため、換気扇は不要です。
承継樓におけるこのような「超常識の追求」事例には、例えば以下ようなものがあります。
- キッチンからレンジフードをなくす
- 日本では販売されていないイタリアFalmec社製の下引きIH4口レンジを輸入し、オーダーキッチンに据付
- TOTOのシステムキッチン「ザ・クラッソ」のシンク部のみ(レンジ部を除いて)購入し、オーダーキッチン側に4つ口下引きIHを設置して連結
- 玄関から下駄箱をなくす(玄関を広く開放的にする)
- 辻燈籠をメールボックス兼宅配ボックスに改造し、太陽光の自動点灯式に
- 玄関にインターフォン用の配線をなくし、辻燈籠にワイヤレスインターフォンを設置
- 本来下側が開く雪見障子を、上側が開くように反転
- LDKからカーテンをなくす
- 一階南側にW3500㎜xH2384㎜の巨大かつ重厚なガラス扉を設置(南側正面に妙高山を望む田園風景を満喫するため。稼働側の扉が約80kgと重いため、ドイツのヘーベシーベの技術でないと開閉できない。)
- 湯舟から景色が見えるように風呂の窓の位置を低く、南と西の2面を大開口に(外から丸見え)
- 2階トイレの窓も大きくし、組子細工を透して外から丸見え
- テラスの屋根をポリカ製にして空と景色がみえるように
- テラスから手摺をなくす
- 階段の蹴上を16.5センチとしフラットに
- 寒冷地でも、ペアガラス、トリプルガラスを選択せず(真空断熱ガラスを選択)
- 床材(床暖房対応の阿波檜の無垢材)を木場から購入(大幅なコストダウン)
- 渡り廊下の裏に網代天井
- 15畳の和室の天井を、玄関と陶芸工房の天井に移設(大工さんにとって膨大な手間と技術が必要)
- 玄関ドアに重厚な中国の城門扉を再利用(扉厚90㎜で既存の鍵に使えるものがない。重量92Kgx2枚と極めて重く、やまぎし棟梁しかできない技)
- LDKと同じ空間内に、寝室、風呂、洗面、トイレ等を設置して、全てを一つの空間に集約
これらの「超常識の追求」は、シン・古民家®の2番目のテーマ「二項動態美の追求」と建築に対するDX魂でつながっています。
4、ダブル受賞と、国内外で評価された理由:二項動態理念「サステナブル・ウエルビーイング」
こうして誕生したKXのシンボル建築「承継樓」は、まず昨年末、ウッドデザイン賞の上位賞である奨励(審査委員長)賞を受賞しました。
応募総数366作品中、31作品のみに与えられた上位賞という貴重な栄誉を賜りました。
次に、先月世界三大デザイン賞のiFデザインアワードで最優秀賞のゴールドアワード(金賞)を獲得しました。
世界各国のデザインプロフェッショナルによる、11,000件の応募作品から最優秀75作品のみに与えられた、極めて希少で価値の高い栄誉を賜ることができました。
承継樓は、世界の一流デザイン専門家131名からなる審査員陣に高く評価され、その総合点は、iFデザインアワードの受賞基準点280点を大きく上回る355点という極めて高い定量評価を得ました。
そして総合得点の高さのみならず、以下の5つのすべての評価項目において高く評価されていました。
- 機能 Function 75点
- アイデア Idea 75点
- サステナビリティ Sustainability 70点
- 差別化 Differentiation 70点
- 形状 65点
両賞の審査講評(定性評価)は次の通りでした。
<ウッドデザイン賞奨励(審査委員長)賞の講評>
古民家のリノベーションが人気となっているが、現代の暮らしに馴染む快適性を各技術を駆使して実現、古民家ながらウェルビーイングな暮らしを提供する。空き家所有者、移築業者、設計、大工、施主までのバリューチェーンを構築している点がよい。
(詳細ついてはウッドデザイン賞ウェブサイトをご参照ください。)
<iFデザインアワード金賞の講評(翻訳)>
日本古来の建物である古民家のリノベーションに、クリエイティブで、かつ現代性を徹底追求したサステナビリティへの造詣が反映されています。用材のクオリティと、建築のディテールへのこだわりは驚くべきものです。室内空間の構成と、景観の味わい、地域の気候条件への適合との間で図られたバランスは完璧です。温かで居心地が良く、心落ち着くインテリアの雰囲気は、誰かと分かち合いたくなります。
(英語原文ついてはiF Design Awardウェブサイトをご参照ください。)
両賞の講評には、「サステナビリティ」「ウェルビーイング」「現代の暮らし」「景観の味わい」「地域の気候条件への適合」「バリューチェーン」等の文言が見られました。
両賞審査員による承継樓に対する定量、定性評価から、以下のことが推察されました。
- 日本の古民家建築のモノ珍しさがウケたわけではない。
- 建築物としての形状面のデザインだけを、ご評価いただいたわけではない。
建築のディテールに驚嘆する極めて高い評価コメントがありながら、形状(Form)の評価は他4つの項目に比して相対的に低かった。
- 承継樓のデザインに反映された理念や、哲学(考え方)等について、高くご評価いただいた。
たいせつ古民家®では、”Sepia Cabon for Sustainable Well-being”「サステナブル・ウェルビーイングのためのセピアカーボン」という理念を掲げています。
「セピアカーボン」は、古民家、古材、木製建具等の再利用による炭素排出削減の追求を表す、たいせつ古民家®による造語です。
グリーンカーボン、ブルーカーボン等と並ぶ、カーボンニュートラル追求策です。
「サステナブル・ウェルビーイング」は、KXを通じて実現する、理想の古民家暮らしを象徴する言葉です。
近年ウェルビーイングという言葉が、DX同様に流行しています。
DXが30余年前の古い概念の言い換えであるのに対して、Well-beingは更に半世紀をさかのぼります。
約80年前、第二次大戦終戦直後の1946年、食糧難の日本では、人々は生きるのに必死で、他国も、世界大戦が二度続いたことで荒廃していた時代に、世界保健機構WHOによって、初めて使われた、極めて古い概念です。
そして、その古さが象徴するように、「ウェルビーイング」は、人間の心身の健康と自己実現を追求する、人類中心の概念です。
80年あまりの歴史を経て、未だに、人類が「ウェルビーイング」を謳わなければならない状況は残念な限りです。
21世紀に入りとりわけ、物心両面の豊かさの格差が深刻化し、食糧難に苦しむ人が未だに存在する一方で、贅沢病に苦しむ人が存在する人類にとって、「ウェルビーイング」の重要性が増してしまっているのかもしれません。
それに対して、「サステナブル・ウェルビーイング」は、人間を環境の一部として捉えた、宇宙/地球/生命中心のサステナブルな人間のあり方、生き方です。
「ウェルビーイング」を大前提とし、その先にある自己を超越した利他的な生き方、あり方のことです。
人間のウェルビーイングを追求し続けた歴史が、地球温暖化、生態系の破壊などを深刻化させ、逆に人間の生命までも阻害しているパラドキシカルで、「人間対環境」の二項対立的な現状に問題を提起する、たいせつ古民家®による造語です。
承継樓のKXでは、ウッドデザイン賞、iFデザインアワードの両賞で、ご評価いただいた「ウェルビーイング」と「サステナビリティ」の二項動態理念である”Sepia Cabon for Sustainable Well-being”を、具体的に実践しています。
では、「ウェルビーイング」と「サステナビリティ」を、どのように承継樓のKXの中で具体的に実現したのか?
物語が、長くなり過ぎましたので、そのご説明は、またの機会とさせてください。
ここまで、私の長い、長い「KX物語」を、最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。 隅研児
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