合同会社元就
『なぜ・いま栃木?』 売上は県外のクライアントが95%動画企画プロデュース会社「元就」があえて栃木県日光市に拠点を移す理由とは
2025年02月05日
『動画』を軸にしたコミュニケーション施策を企画・プロデュースする合同会社元就(栃木県日光市、代表:毛利直史)は、栃木県日光市久次良町(くじらまち)のキャンプ場に2025年2月5日に本社移転しました。
もともと東京を拠点に活動していた代表の毛利直史が、なぜこのタイミングで企業数も動画へのニーズも少ない栃木県日光市に拠点を移したのか?その背景や起業ストーリーをご紹介します。また、いま地道に進めている施策や、これからの目標ついても語ります。
■2023年に独立起業した理由
2022年に東京から妻の故郷である栃木県日光市に移住してきました。その頃はちょうどコロナが終焉に向かっている時期で、フルリモートが徐々に緩和されて週に数回の出社がニュースタンダードになりつつある頃でした。
そんな折、当時勤めていた動画事業会社の経営状況が悪化。社長交代も行われるなど、まさに激動の最中で、社員では栃木県在住の自分だけがフルリモートという特別扱いのような状況でした。そのような不安定な環境で働く中で、ふと「独立」という2文字が頭をよぎりました。
もともと鳥取県出身のため、県内の知り合いは妻の実家のご近所さん程度しかいませんでしたが、アウェイでのマイナススタートになることを覚悟して2023年6月、鹿沼市にて合同会社元就を創業するに至りました。
実をいうと、当初は栃木県内でゼロから地道に営業活動をして実績を積み上げていくつもりでした。しかし、いざ起業すると、東京在住時に交流のあった友人や仲間、かつて仕事で関わった方々など実にさまざまな人たちが私に声をかけてくださいました。おかげさまで1年目から全国ネット放映のTVCMや、タレントさんを起用したタクシーCMといった大型プロジェクトを任せてくださったり、そのほかにも指名でお仕事をいただけるといった機会にも恵まれました。本当に感謝してもしきれません。
また、栃木県内でも新たに知り合った企業様からお声がけいただき、採用動画やチラシ制作などのご支援をさせていただきました。
そして2年目からは企画・プロデュース業に加えて、ロケコーディネーターとして栃木県内にて大手企業の広告制作支援を行いました。さらには、栃木県内における登壇の機会を積極的に増やして動画普及のための啓蒙活動を行うなど、今もなお事業の幅を広げている最中です。
当初、マイナススタートだと思っていた栃木県での起業。
でも、蓋を開けてみたら全くそんなことはなく、実は、いままで人生の延長線上にありました。
かねてから、ずっと思っていたことがあります。
「目先の利益よりも、人とのつながりを大切にする」
これまでの人生で手に入れたすべての人たちとの繋がり、そして、これからの人生で手に入れるすべての人たちとの繋がり。それこそが、元就最大の財産です。
■なぜ日光に本社を移転するのか
独立を考えていたとき、起業のサポートをしてくれたのが日光市にある「日光市起業・創業支援サロン」でした。ある冬の日こと、起業の知識ゼロだった私を、飛び込みにも関わらず受け入れてくれたのが、当時、管理人をしていた大嶋さんでした。
2023年6月、日光市起業・創業支援サロンの支援のもとで私は鹿沼市のシェアオフィスを拠点に起業したのですが、その後もサロンに顔を出すたび大嶋さんは「毛利くん、日光の事業者になってよ」と私によく言ってくださいました。それに対して私は「まあ、いつかですね」と答えを濁す。そんなやりとりが二人の定番になっていました。
その大嶋さんが、2024年の夏にお亡くなりになりました。
今回の本社移転の直接的な理由は鹿沼市のシェアオフィス閉鎖です。けれど、それ以上に大きいのは、日光市起業・創業支援サロンへの恩返しの想い、そして、大嶋さんへの恩返しの想いです。あの日、飛び込みの私を大嶋さんが受け入れてくれていなければ、いまの合同会社元就はありません。
そのうえで、独立した当初から親交の深いTORCH Camping & Coworking Spaceに本社移転することを決めました。ここはその名の通り、キャンプ場です。「世界遺産 日光の社寺」のそばでもあります。
これからは広大な自然の中だからこそ生まれる自由な発想、栃木県に根差したロケコーディネート力を武器としながら、企画プロデュース事業・登壇を通じて栃木県内の企業の成長や、自治体の発展に大きく貢献していきたいと思っております。
■なぜ動画を事業の中心としているのか
28歳でテレビ番組制作のADを始めてから、早いものでもうすぐ15年が経とうとしています。実は23歳から約4年、私はまったく芽の出ないお笑い芸人をしておりました。芸人に見切りをつけたものの、次の職を探すのは容易ではなく、職業訓練校で身に着けたwordとexcelだけを頼りにハローワークで見つけたテレビ番組の制作会社に就職しました。
当時、同期は4名いました。うち3名は新卒で、彼らは学生時代から映像業界を志してきた希望の星です。もう1名の中途は業界経験者の即戦力でした。それに比べて自分はというと、受かったから入った(面接官として出てきた副社長がたまたま大学時代のサークルの先輩だった)というだけで、正直、映像にも特別興味はなく、入社できたからラッキーくらいの感覚でした。そのような感じだったので、入社初日に5人が集められたとき、「どう考えても自分が一番最初に辞めるな・・」と思ったことを強く覚えています。
あれから約15年が経ちました。不思議なことに当時の同期の中でいま、私だけが映像でご飯をたべています。ほかの4名は志半ばにして業界を辞めていきました。でもそれは、私がほかの人たちよりも根性があったとか才能があったとかそんな話では全くなく、単純に、もう後がないから踏ん張るしかなかった結果、いま動画でご飯が食べられているという、本当にそれだけのことです。好きとか嫌いとか、つらいとか興味がないとか、そんなことを言う余地が自分にはなかっただけのことだと思っています。
思い返すと、もう後がないから、寝る間を惜しんで編集や撮影や制作スキルを体得しました。もう後がないから、センスのなさを早々に認めて徹底的にロジックを叩き込みました。もう後がないから、監督業ではなく手堅いプロデュース業を選択しました。もう後がないから、37歳からまた寝る間を惜しんで広告プランニングを覚えました。そして40歳の時。もう後がないから、会社を作りました。
なぜ動画を事業の中心にしているか?という問いに対して、いま動画がアツイとか、動画こそがビジネスの最適解だとか、そんなことは言いません。
自分ができることを続けてきた、それが動画だったというだけです。
がむしゃらに目の前の仕事に一生懸命取り組んできた結果、もう他に行き場所がないくらいまで「動画」を軸としたコミュニケーション施策の企画とプロデュースに精通してしまいました。だからいま、この仕事をしています。そして、これからもきっとこの仕事を続けていくのだと思っています。
■看板を立て続けるワケ
独立起業を考えはじめたとき、漠然と「栃木は車社会でもあるので、野立看板を出そうかな」と思っていました。動画という、いわゆるデジタルを活用した仕事をしていますが、やはりリアル・アナログのチカラはすごいなと思うことがあります。いつもそこにある、通ると必ず目に触れるものは、記憶に強く印象付けられます。
そして、野立看板をたくさん出している動画関連会社などはあまりいないと思ったので、これからもコツコツと栃木県内に野立看板を出し続けようと思っています。
そしていつの日か、元就の看板で栃木県中を埋めつくして、元就が栃木県にあって当たり前のものと認識される日が来ることを楽しみにしています。
■会社名が元就の理由
私の苗字が「毛利」なので、覚えやすさ最優先で「元就」にしました。
会社名・個人名のどちらか一方しか思い出せない気まずさを会社員時代に味わったことがあり、そのリスクを極力なくそうと思いました。本当はもっと難しい会社名も考えたのですが、最終的には勇気を出して安直さを取りました。
なお、よく聞かれるのですが、戦国武将の毛利元就と私は特に関係ありませんのでご承知おきいただけると幸いです。
■【日光のお面P】を名乗るワケ
このたび、日光に移転するにあたって自身の肩書に「日光のお面P」を加えました。
「日光の事業者」で「お面をかぶっている」ことに加えて、Pには「プロデューサー」「プランナー」「プロモーション」という3つの意味があります。
なお、お面をかぶっている理由ですが、いまから約15年前にお笑い芸人を辞めたとき、「もう人前に立たない」「これからは黒子に徹する」という誓いを自分の中で立てました。以来、(一部、断り切れないこともありましたが)この2つの誓いを守りながら会社員生活を送ってきました。
しかしながら独立起業をするにあたり、自分が社長になったら今後、広報などでどうしても人前やメディアに出ていかなければならない局面があるように思いました。でも、顔を出すのは自分の中でやっぱり違う。正直、それがひっかかって独立起業をやはり断念しようかなと思った瞬間もあったのですが、そんな時にふと思い出したのが、ロックバンド「BEAT CRUSADERS」です。お面をかぶって演奏する姿を思い出し、「そうかこの手があったか!」と雷に打たれたような衝撃でした。
こうして、お面をかぶるということが先に決まり、「次に、会社のロゴをどうしよう?」となったとき、“顔ロゴ”にすればお面をしても何の違和感もないということになり、顔ロゴを採用しました。なお、顔ロゴはよく見るとアシンメトリーになっているのですが、これは野立看板にしたときに運転手のほうを見ていないようにするため(夜、田んぼしかないような道で目が合ったら怖いかもしれないと思ったため)です。
■「UNTIL2058」とは
起業をするときには出口戦略(EXIT)を決めなさいと、よく言われます。40歳で会社を作ろうと思ったとき、漠然と自分は何歳まで働くのだろうと考えてパッと75歳と思い浮かびました。2023年に40歳の私が75歳になるのは2058年です。なので、2058年に自らの手で廃業させることをゴールとして合同会社元就はスタートしました。UNTILというのは「~まで」という意味です。出口戦略というとIPOかM&Aの2択というのが世の相場ですが、私は元就という会社においては2058年の廃業をゴールとしています。
■会社概要
会社名:合同会社元就
代表:毛利直史
本社所在地:栃木県日光市久次良町242番地 TORCH Camping & Coworking Space
東京オフィス:東京都港区赤坂9-1-7 赤坂レジデンシャル205
設立:2023年6月5日
資本金:200万円
事業内容:コミュニケーション領域における戦略・企画立案、ムービー/グラフィック制作、コンテンツ制作・編集、コンテンツマーケティング、WEB制作、その他各種プロモーション施策の立案など
ホームページ:https://motonari.biz
LINE公式アカウント: https://lin.ee/UqLT94D
インスタグラム:https://www.instagram.com/naofumimouri
・合同会社元就について
合同会社元就は『動画』を軸にしたコミュニケーション施策を企画・プロデュースする会社です。代表・毛利の業界経験10年以上の知見を生かし「想いを届けるパートナー」として、クライアントとともに悩み抜き、最善なコミュニケーションを生み出します。スタートアップから大手企業・公益法人に至るまで、東京・名古屋・栃木に拠点を置くクライアントを主に支援させていただいております。2025年2月5日に日光に本社移転し、25日にイベント『日光まば結いセッション』(不定期)を実施予定。
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