昭和時代で、笑って和もう!笑和写真館

大好きだった、あの人、 あの街、 あの頃。

 今年8月に東京新聞に掲載した、読者の皆さんから寄せられた昭和30年・40年代の“笑って和む”写真を紹介する「笑和写真館」の第2弾を掲載します。今回はどんな“昭和”と出会えるのか。昭和時代の生活文化に詳しい、庶民文化研究家の町田忍さんのインタビューとともにお楽しみください。再び、あの頃へタイムスリップ!

ハレとケがあった時代

 普通の家庭でカメラを買えるようになったのは、昭和30年代後半。写真機はまだまだ高い時代だったから、これらの写真は貴重ですよ。商店街には写真館とは別に写真屋さんがあって、必要な時だけ撮ってもらう家庭も多かったと思います。

 昭和30年代中頃、わずか数年で、庶民の暮らしは大きく変わりました。テレビ、洗濯機、冷蔵庫という三種の神器が普及し始めたことがきっかけです。わが家がテレビを買ったのは、昭和33年。翌年に皇太子のご成婚があったからです。それまでは、近所の布団屋さんまでテレビを観に行っていました。テレビを買ったら近所の人に観せるのは当たり前、観に行くのも当たり前の時代でしたね。

 この頃は、今よりずっと”ハレとケ“があった気がします。わが家は年に2回、ボーナスが出ると家族で渋谷のデパートへ遊びに行きました。デパートは今では考えられないほどの”ハレの場“。親の買い物をしたら、おもちゃ売り場へ行き、食堂でグラタンとパフェを食べて、屋上の遊園地で遊ぶのが定番コース。そういう家庭、少なくなかったんじゃないかな。昭和という時代、子どもたちは次に何が出てくるのかとワクワクしっぱなしだったけど、当時の大人はどう思っていたのでしょうね。古い写真を眺めると、そんな思いがふと湧き上がります。

庶民文化研究家

町田 忍さん

昭和25年東京生まれ。執筆活動の他、コメンテーター、コーディネーターなど多方面で活躍。生活文化、昭和遺産探訪などの著書多数。

未来や希望を感じながら

 昭和30年代、高度経済成長とともに東京の街はどんどん変わっていきますが、街の景色でよく覚えているのは、土管が積まれた原っぱや空き地です。当時、至るところで工事が進み、下水用の土管があちこちに置かれていたので、子どもはそこを遊び場にしていたんです。のび太くんたちもよく遊んでいた土管、と言えば分かってもらえるかな。

 その頃、街はどこも活気がありました。浅草や渋谷も賑わっていたけれど、一番賑やかだったのは、商店街だったと思います。今、デパートではデパ地下が人気ですが、あそこは昭和の商店街とよく似ています。狭い路地、対面販売、威勢のいいかけ声…いつの時代も、そういったものに人は引き寄せられるのでしょうね。

 東京中を走っていた都電は、私たちの生活になくてはならない存在、下駄がわりでした。ビートルズのコンサートも、都電に乗って武道館まで行きました。思い出が詰まった都電でしたから、廃線になると寂しかったですよ。

 昭和は、一言で言えば、いい時代。街は活気があって、暮らしは刺激的で、人とのふれあいも多かった。もちろん、いいことばかりじゃなかったけれど、日々豊かになっていたあの頃は、そういうことが見えにくかったんじゃないかな。未来や希望を感じながら生きた時代だったと思います。

庶民文化研究家

町田 忍さん

昭和33年、自宅前で撮った家族写真。 写真左が町田さん