宇多丸さん 宇多丸さん

ジェンダーのことって"女性側の問題"じゃない 男性こそ重く受け止めなければいけないと思うんです

日本ヒップホップ界の重鎮であり、ラジオパーソナリティとして、エンタメを通して様々な社会問題と向き合ってきたライムスター宇多丸さん。リーダーとして働く女性を応援する「F30プロジェクト」でも、ジェンダーバイアスをはじめ、たくさんの女性の悩みに10年以上寄り添ってきました。国際女性デーの今日、東京新聞に寄せられた「ジェンダーに関するもやもや」について宇多丸さんと一緒に考えます。

(聞き手・F30プロジェクト/小林奈巳)

「ジェンダーに関するもやもや」アンケートを東京新聞が保有する各メディアを通じて2025年1月28日〜2月9日までインターネットで募集。778件の回答があった。

フェミニズムの文脈が理解されないまま元の議論がすっ飛ばされがち

みなさんの「もやもや」を読んでいると、少し前なら多くの人がおかしいと思わなかったようなことに気づきを得ていたりして、時代が変わっていることを感じます。とはいえ世の中全体ではまだまだ、例えばフェミニズムを“女性側の問題”のように捉えている人も多いかもしれない。もちろんこれは人権問題、人間全体の問題だし、本当はむしろ男性こそ重く受け止めなければいけない件なんだけど、当事者意識が薄いどころか、「めんどくせーな」みたいにしか受け止めてない人も、残念ながら少なくない感じがします。

フェミニズムの文脈が理解されないまま元の議論がすっ飛ばされがち

「#MeToo(沈黙してきた被害者がセクハラや性暴力の経験を告白・共有し、声を上げる運動)」以降、社会の中の不公正を是正しようという動きが活発化しました。ただ、そういうこれまでの文脈を踏まえず、要はなぜフェミニズム的な取り組みが必要なのかを理解しないまま、単に「うるさいなぁ」となっちゃっているパターンも多い気がします。例えば、「セクハラ」という略称だけが流通しているわりに、理念そのものはあまりちゃんと伝わっていない、みたいな。特に男性は自らの社会的優位性や加害性について無自覚なままでも生きてゆけてしまうぶん、何にどういう問題があるのか、改めてきちんと知る機会自体が少ないんですよね。フェミニズムという考え方が出てきたのにはもちろん切実な理由があるのに、そういう元の議論をすっ飛ばした状態で話が始まりがち、ではあると思います。

フェミニズムの文脈が理解されないまま元の議論がすっ飛ばされがち

難しいのは距離感がある人の配偶者をどう呼ぶか

「妻が夫のことを“主人”や“旦那”、夫が妻のことを“奥さん”や“嫁”と呼ぶことへの違和感」といった、夫婦の呼称に関するもやもや回答がけっこうありました。無論、言葉というのは地層のように歴史が積み重なって出来ているものだから、その中には前時代的な要素も当然残っていたりしますよね。だからまずは、“なんかしっくりこないよねぇ…”っていう感じを、社会で共有してゆくことから始めるしかないんじゃないですかね。言葉は生き物だから、そのうちに“この呼び方に着地したね”というものが出てくるような気もします。いちばん難しいのは、ある程度の距離感がある人の配偶者をどう呼ぶか。下の名前で呼ぶのも、日本人的感覚からすると馴れ馴れしすぎる感じだし。僕の場合とりあえずは「パートナーの方」って言い方をしていますけど。その二人が結婚しているとも限らないし、一緒に住んでいるからって恋愛関係かどうかもわからないから、「パートナー」は比較的万能。でも、純日本語的な表現とは言い難いのが残念ではある。「相方」は近い意味だけど、カジュアル過ぎて使えない局面も多い。なんにせよ、「これからはこう呼びましょう!」ってトップダウンでやっちゃうと、結局また「うるせえなぁ」となる人を増やすだけだったりもするだろうから、要はやっぱり、問題意識をもっと広く共有し合うことのほうが先なんだろうと思います。答えはみんなで追々考えていけばいいけど、何が問題なのかが共通認識となっていないと、議論を始めようもないわけですから。

「これは何が良くないんだっけ?」と議論することが重要

ちなみにその呼称の件も、“旧態依然とした家父長制は良くない”というのを当然の前提として話しているわけだけど、地方やご家庭によっては、「それの何がいけないの?」となる方たちもまだまだたくさんいるはずで。話の始め方によっては、いきなり乖離が生じてしまう層が確実にいるわけですよ。だから、まずは前提となる問題意識を丁寧に提示して、ここから議論をスタートさせますよ、というのをいちいち確認してゆくことも必要なのかもしれない。例えば、頭ごなしに何かを“正して”ゆくというよりも、とりあえず自分はこう考えてこうするようにしています、ということから示してゆくとか。「私自身迷っているところもありますが、さしあたって今は、日本語としてやや不自然なのは承知しつつも、やはり“パートナーの方”としておきたいと思います、なぜなら…」みたいに話をしてゆくしかないんじゃないですかね。

「これは何が良くないんだっけ?」と議論することが重要

ともすると物事って、単純化されて、乱暴になっていきがちです。だから毎回「ちょっと待って、これは何が良くないんだっけ?」と、立ち止まってでも一つ一つ議論してゆくことが必要なんじゃないか。あとは、緊急度合いにもよるじゃない? 本人たちが納得して良好にやっているのに「今すぐ“嫁”っていう呼び方を直せ!」って、それはそれでなんか、ねえ(笑)。ただ、言葉一つで考え方も無意識に変わってゆくから、細かいところもおろそかにしないほうがいいのは確か。本質を見誤らせるような言葉に気をつけるのも大事ですよね。

女性を傷つけたかも? という恐怖心は持っていていい

もやもや回答にもあったけど、男性から女性へのアンコンシャス・バイアスで、“今まで気づいてなかった!”“やっちゃっていたかも!”ともやもやすること自体は、普通にいいことじゃないですか? “マジで今すぐ土下座しろよ!”ってレベルの人、“心にチクっときたならそれを大事にしてください”ってレベルの人、いろいろいるでしょうけど、なんにせよ誰だって、常に自分を戒めたほうがいいことに変わりはないわけですから。無意識的にであれ人に対して搾取的だったり、暴力的だったりしたのかも? そして今後もやらかしかねないかも? という恐怖心こそが人を謙虚にするんだとしたら、それは絶対に必要なものですよ。じゃあ、そこからどうしてゆけばいいか? 特に男性はさっき言ったように“自然に学ぶ”機会が構造的に少ないんだから、入門書でいいから本でも読んで、ちょっとでも勉強するべきなんだと思います。

女性を傷つけたかも? という恐怖心は持っていていい

でも同時に、どんな人間も、時代の限界からは逃れられない、という面もある。時代や社会の責任と個人の責任、その両面を見てゆくべきなんだろうと思います。

ジェンダー論を学んでいろんなことが腑に落ちた

僕がジェンダーについて学んだのは、大学生のときにお付き合いしていた方の影響ですね。「まずこれを読んどけ、話はそれからだ!」と言われたのが、上野千鶴子先生と小倉千加子先生の対談本『ザ・フェミニズム』(ちくま文庫)。そこからさらに興味を持って、海外のフェミニズム思想の本をいくつか読んでいったりもして。ちなみに僕の母はずっと会社勤めをしながら改めて大学受験をして勉強もし直したような人なんですけど、そんな母が社会の中でどのような立ち位置だったのか、それを横で見ていて僕自身うっすら感じていたことなどもろもろが、“そっか、そういうことだったか!”と、一気に腑に落ちるような感覚もありました。

ジェンダー論を学んでいろんなことが腑に落ちた

あと僕、幼少時から、“男らしさ”の押しつけが本当に嫌いで。家父長制的なマッチョ体質にすんなり順応できない男性にとっても、やっぱり生きづらい社会なんですよね。本音ではこんなゲームからは降りたいけど、いわゆる男性社会の落伍者になるのを恥と感じてしまうがゆえか、それを意識化さえしていない人もけっこういるんじゃないかと。僕自身も、すっかり内面化してしまった“男らしさ”の呪縛に、今も縛られているところはあると思います。

気づく機会を増やすためにエンタメが果たす役割は大きい

ジェンダー平等について、男性と女性の対立構造となったり、どちらが得かという議論ではなく、人類みんなが得をする、大切な話だと考えてほしいという意見があって、僕もまったくその通りだと思います。とはいえさっきから繰り返しているように、環境によってはジェンダーバイアスに気づく機会が少ない人もいる。例えば、「うるさい世の中になりましたね」的な物言いをする人の多くは、おそらくですが、具体的に非常に深刻な被害者がいる話なんだ、という認識を欠いていたりするんじゃないかと思うんです。もし自分の大切な人がそうなったら? という想像力を働かせるきっかけがあったりすれば、だいぶ違ってくるのではないかとも思いますが…。

だとするとそこで、エンターテインメントが果たす役割も大きい。近年は日本のドラマや映画もがんばっていて、メジャーどころでもはっきりフェミニズムに向き合った作品が増えてきましたよね。報道だけではなかなか伝わりづらい、さまざまな問題の中にいる具体的な人間像を、そこで思い浮かべられるようになるのは大きい。もちろんそれらを観てどう思うかは本人次第だけど、大事なことを押し付けにならず伝えられるのは、エンタメの強みですから。個人的には、“もう2025年なんですから、こう考えるのが普通なんですけど”というスタンスをガンガン発信して、“そっちのほうがカッコいいな”とか“そっちのほうがおもしろそうだな”と思ってもらえたらいいなと考えています。

とにかく、全部の問題が一度に解決することはないけど、人類史、長い目で見ればやっぱりトータルでは良くなってきている、と僕は考えているので。フェミニズムもそうですが、とにかく諦めずに、いちいち原理原則をしっかり確認しながら、少しずつ少しずつ、みんなで根気良く前に進んでゆくしかないんじゃないですかね。