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歌手 hitomiさん

歌手 hitomiさん

子ども時代を川崎で過ごした歌手のhitomiさん。今は4人のお子さんのお母さんとしても全力投球の日々を過ごしています。

子ども時代の夢「歌手になること」を実現したhitomiさん

■なじみ深い宮前区周辺

 母と行った向ケ丘遊園や、父と行った鷺沼プール、フードコートでラーメンを食べたスーパー、確かマルエツ馬絹店(2002年閉店)だったと思うのですが、その辺りはなじみ深いですね。

 高校時代は青葉台(横浜市)の居酒屋でバイトした後、宮前平の駅前で屋台のたこ焼きを食べるのが好きでした。今は閉店してしまいましたが、宮前平のモーツァルトという喫茶店で働いていたこともあり、そこのケーキはおいしかったですよ。

■できることは自分で 

 子ども時代を過ごした場所は商店街や裏路地、工場があり、これが私にとっての〝ザ・川崎〟でした。今は、溝の口なんて本当に変わってしまい、違う場所のように感じますね。

 小学校低学年の頃は母と2人で暮らしていました。母も仕事があると分かっていたので、できることは自分でやろうと、毎朝、自分でパンを焼いて食べて学校に行っていました。転校も何度かしたのでクラスの輪の中に入っていくことは難しかったですが、仲の良い友達とゴム跳びをしたり、道路にチョークで丸を書いてケンケンパしたりして遊んでいました。

 小学4年生から母がけがをした関係で父と4つ上の兄と3人で暮らすようになり洗濯、掃除、ご飯、買い出しをやっていましたが、うちではそれが普通でした。

 

■あこがれは松田聖子さん

 中学では給食が無かったので、自分のお弁当を自分で作っていました。からかわれているわけではないのですが「自分で作ってるなんてすごいね」と友達に言われるのが、心の中ではとても恥ずかしくて嫌でした。

 歌手には小学校に上がる前からなりたいと思っていました。当時は松田聖子さんが好きでした。6、7年前に初めてコンサートに行きましたが、実際にはお会いしたことはありません。聖子さんはいまだに雲の上の存在。あこがれの人のままでいいかなと思っています。

■歌手になるために

 中学生のときに歌手になるための足掛かりとしてホリプロタレントスカウトキャラバンに応募し、関東地区代表として決勝に進出しました。芸能界に入ることを両親から反対された覚えはありません。応募には保護者の許可が必要でしたし、母と一緒に大阪の会場に行ったくらいですから。高校生になってからは自分でオーディション雑誌を買っては応募を繰り返し、雑誌「Fine」のモデルに。その頃、小室哲哉さんが私の履歴書を見て、プロデュースしようと思ってくださったようです。

 歌手デビューする1年前から歌のレッスンを始めましたが歌は下手だしリズム感も無さ過ぎて周囲の人が心配するほど。デビュー後もレッスンを続けるなどコツコツ努力し、ここまできました。

 歌詞はデビュー当時から自分で書いています。小室さんから「ポエムじゃなくて、彼氏と電話をしていた時の言葉とか、自分の言葉を日記のように書いて僕にくれないか」と言われ、書き留めていました。

■まずは行動しよう

 夢をかなえる秘けつは、行動することだと思います。語るだけなら誰でもできる。思い立ったら吉日です。こうなりたいなと思ったら、じゃあ何をしようかと考える。行動する前に言い訳を考えてあきらめてしまっては何も経験しないまま終わってしまいます。それが一番良くない。失敗してもそれは経験。私も失敗だらけです。

 今は子育て中心の日々を送っています。自分が体験した〝大変さ〟を押し付けてしまいそうになりますが、そうすると子どもがつらくなってしまうので、気を付けています。その一方で、子どもたちには苦労も必要かなとも思うし、子育てって難しいですね。

中学生の娘には「何でもやった方がいいよ。失敗してもいい。失敗があるから成功があるんだよ。プロセスが大事」と話しています。

プロフィール

1976年1月26日生まれ。1994年「Let’s Play Winter」でCDデビュー。「LOVE2000」、

「CANDY GIRL」や「SAMURAI DRIVE」などのヒット曲を持つ。2020年7月に44歳で第4子を出産。