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声優 森川智之さん

声優 森川智之さん

 トム・クルーズやキアヌ・リーブス、ユアン・マクレガーらのハリウッドスターから、『ジョジョの奇妙な冒険』の吉良吉影、『鬼滅の刃』の産屋敷耀哉、『クレヨンしんちゃん』の野原ひろし(2代目)まで、どんな役でもこなす声優界のレジェンド、森川智之さんの登場です。

幼少期

登下校も遊びの延長

小学4年生まで高津区の久末団地に住み、久末小学校に通っていました。大人になってから知ったのですが、元プロ野球選手のパンチ佐藤さんと同じです。パンチさんはうちの裏の号棟に住んでいらしたようです。
 団地や学校の周辺にある久末緑地、畑、雑木林、竹林が遊び場で世界の全て。今の自分の原風景です。
 とにかくよく歩き、暗くなるまで自由に遊んでいました。みんなに内緒で、仲間だけで木の上にツリーハウスというか基地みたいなものを作ったこともありました。5歳下の弟もくっついてきて一緒に遊んでいましたね。地元の野球部にも入りましたが低学年ですから試合には出られず、お兄ちゃんたちのプレーを見ながらキャッチボールの練習をしていたと思います。
 学校と家がわりと離れていて登下校中も遊びの延長でした。
 裏山に入っていったり、ゾウムシを捕まえたり、もう時効かと思いますが、夏場なんかは畑からトマトを頂き水分補給したり。近所の方も目をつぶってくれていたのかなと思うといい場所でした。
 高度経済成長期の頃ですからみんなが同じ方向を向いていてイケイケドンドンの時代。学校の運動会もお祭りみたいに、こんなに人がいるんだってほど大勢の人が集まって昼は祖父母や近所の人も一緒になってお弁当を食べたことをよく覚えています。
 そういえば、近所の竹林で大金が見付かったことがありました。規制線が解かれた後、友達と「もっとあるはずだ!」と探しました。見つかりませんでしたけど。

大洋ホエールズと共に横浜へ

 5年生のときに母の実家のある横浜の神奈川区に引っ越しました。大好きな大洋ホエールズが川崎球場から横浜スタジアムに移ると知っていたのでうれしかったです。久末の生活も大好きでしたが、祖父母の家にしょっちゅう遊びに行っていて距離が分かっていたし、川崎と横浜なら隣だから友達にもすぐに会いに行けるとのんきに構えていました。
 横浜は川崎より都会だと感じました。新しい学校でも男女問わず多くの友達ができ、すぐに楽しくなりました。 

将来の夢を全て叶えるには

「絵描きになれる?」って母に聞いたら「無理!」って

 大人になったら何になりたかったかと言うと、一番古い記憶ではバスや電車なんかの乗り物の運転手さんです。母が開いていた絵画教室に僕も通っていたので「絵描きになりたい」と言っていたこともありました。自分では完璧に描けたと思う風景画を母に見せて「これでプロになれる?」と聞いたら「無理!」って言われましたけど。母の個展の手伝いをしている時に美術系の方と話すこともあったのですが、やはり自分には無理だと分かりました。ただ、とても貴重な経験をさせてもらったなと思っています。
 中学ではソフトテニス部に入りながらスポーツジムにも通っていました。プロレスラーの方とトレーニングしていたのでプロレスラーになろうかとも本気で考えたのですが、さすがに無謀ですよね。でも、トレーニングのお陰で高校時代、関内ホールで行われたボディービルの大会〝ミスター神奈川〟に出場して〝最年少賞〟を頂いたんですよ。オイル塗って、客席からは「かわいいー!」って声が掛かりました。
 テレビも好きでした。母の影響で『わんぱくフリッパー』や、グラハム・カーの『世界の料理ショー』など海外の番組を見ることが多かったので、それで声優の仕事を知ったと思います。アニメも見ていたのですが、海外の番組の方がインパクトがありましたね。
 とはいえ当時はスポーツを続けていたので体育の先生になろうと考えていました。

 が、高校1年の夏休み、アメフト部の合宿中、頸椎損傷し断念。

 リハビリ中、将来どうしようかと考えていたら友達が「声が大きいし、スポーツに関係する仕事だからスポーツ実況のアナウンサーになったら?」と提案してくれました。
 アナウンサーの専門学校の入学案内の中に声優部門を見つけました。顔を出さずにテレビの仕事ができる、しかも何にでもなれる、体育の先生にもなれる。面白そう! 格好いい! と声優を目指すことを決めました。
 実は今でも左腕にしびれが残っていて、一週間に一度、リハビリに通っています。もう治ることはないんだけれど。この頸椎損傷がなければ声優にはなっていなかったので人生の分岐点だったのかもしれません。

たそがれに久末へ

 僕のプロフィールに出生地、東京とありますが、これは単に生まれた病院が品川区の東芝中央病院(現東京品川病院)だっただけです。両親は幸区の東芝小向事業所に勤めていて、知り合ったんですよ。父が、受付をしていた母に声をかけたみたいですが。
 久末は人間形成される中で過ごした大切な場所です。今でも一年に一度くらい、用も無いのに車を走らせ様子を見に行っています。商店がコンビニになったとか、信号が増えたとか、そんなことを確認し、たそがれています。変わっているんだけれど変わっていない場所。あの頃、自然の中で自由に過ごした日々があるからこそ今、想像力が働きいろいろな人物を演じられるのだと思っています。
 声優は文字を音声化する仕事で縁の下の力持ちですが、時々、アニメや映画などで人気の俳優さんやタレントさんがキャスティングされ話題になることも多いですよね。いろいろな意見を聞きますが、僕自身は役に合っていればいいと思うし、こんなふうに演じるんだ、と勉強になることも多いです。最近は、アニメを見て日本語を覚えたという海外の方もいて責任重大です。これからも〝声優文化〟をより多くの方に深く知っていただけるよう活動していきます。

プロフィール

1月26日生まれ。日本体育大学荏原高等学校、勝田声優学院卒。自分が演じる傍ら、後進の指導にも力を入れている。声優事務所「アクセルワン」代表取締役・声優養成所「アクセルゼロ」代表取締役。