かわさきツナガリ タレント・女優 ベッキーさん
イギリス人の父と日本人の母を持つベッキーさん。宮前区で生まれ育ち、中学までは宮前区内の学校に通っていました。
■校長先生とも仲良く
幼いころから目立つことが大好きでした。小学生のころは自分で作った曲をピアノで弾き語りし、「ジョインしたい人いる?」と聞いて誰かいれば、木琴やリコーダーなどの役割をプレゼント。やっていることはほぼジャイアンと一緒ですよね。7~8人の仲良しグループでは毎月、フルーツとか歴史上の人物とか、テーマを決めてあだ名をつけて呼び合うっていう遊びをやっていて、私はレモンとかザビエルって呼ばれていました。
校長室にも「遊んでくださーい」みたいに訪ねて行き校長先生とも仲良くなっていました。校長先生が優しくて受け止めてくれる方だと分かっていたからできたことですが。今でもその気があるのですが、偉い人、芸能界の大御所の方もそうですが、なかなか話しかける人がいないじゃないですか。それじゃ寂しいんじゃないかなって思っちゃうんですよね。
■弁論大会で連続優勝
中学時代は心も身体も変化する時期ですし、ローテーションで無視されることもあり、学生時代の中ではつらい時期でした。かわいくてもてる女の子に嫉妬したり、親とのやりとりにいらいらしたり。今でいう〝一軍の女の子〟の仲間に入りたくて無理もしました。が、結局2人と1人になってしまう。仲良しの友達は選ぶんじゃなくて自然にできるものなんだなと分かりました。
校内の弁論大会では2・3年生続けて優勝しました。2年では「言葉の大切さ。刃物にも毛布にもなる」、3年のときは「父親の涙を初めて見たときに感じたこと。大人も傷つく。みんなつらいことを抱えながら生きている」という内容。芸能に興味があったので3、4分のスピーチを、原稿用紙を見ずに、パフォーマンスも加えながら、聞いている人たちの目を見て訴えるように話したことが評価されたようです。学校代表で、確か平中学校(宮前区)で行われた市の大会にも出場しました。優勝はできませんでしたけれど。
緊張しましたが、シーンとした中でその場にいる人全員が自分だけを見ている、この場の空気を私が握っているということの快感、終わった後の達成感、最高だと感じました。
■自分の人生は自分で
芸能界には子どものころから憧れていました。幼稚園のころ「とんねるずのみなさんのおかげです」で、渡辺満里奈さんがいろいろなことをするのが楽しそうに見えてうらやましかったです。満里奈さんとは何度か共演させていただき、今は交流があります。自然体の方。子育ての素晴らしさだけでなく大変さも等身大の言葉で発信されているのがすごくいいなと思っています。幼稚園の時のあこがれの感情をいまだにキープしていますし、大好きな人です。
中学2年生のときに学校の友達が〝優勝したら推薦者もハワイに行ける〟下着モデルのオーディションの話を持ってきてくれ「絶対にハワイに行きたい。応募して。私推薦するから」って。
ずっとチャンスを探していたので「キター!」という感じ。一応両親に相談したら「なんで聞くの? OKに決まってるじゃん」。そもそもわが家は「自分の人生自分で決めようね。何してもいい。おのおのね」という教育方針だったので、全く反対されませんでした。
翌日の消印が締め切りだったので、すぐにバストアップと全身の写真を撮り、23分で現像できる写真屋さんにフィルムを出して書類を郵送しました。
オーディション会場は大きなホール。「キタキタ芸能界への第一歩キター!」って感じです。周囲を見たら「下着モデル」だったので、自分よりお姉さんの方が多かったです。パフォーマンス力を見るためか、歌の審査もあり、ドキドキワクワクしながら「名探偵コナン」の主題歌、小松未歩さんの『謎』を歌いました。
結局、下着モデルにはなれなかったのですが、私を気に入ってくださったサンミュージックの相澤秀禎社長(当時)が急きょ「サンミュージック賞」を作ってくださり、受賞しました。これで道が開けた、ってそれまで生きてきた中で一番感激しました。
その日のうちにサンミュージックの会議室に通されました。コーヒーを出されそうになったところで「私、コーヒー飲めないんです」って言ったことは、今でも事務所の語り草になっています。私にとっては普通のことでしたが、周囲の方たちは「ここで断る子見たことない」って。自分の意見をはっきり言う、っていう父方の外国の血なのかもしれないですね。
■娘を連れて川崎に
今、2歳と3歳の娘がいます。子育てと仕事の両立はしんどく、未熟な自分を責めて落ち込むことも多いです。娘たちには「ハッピーなことを人にすれば自分に返ってくるよ」と伝えていきたいと思っています。
川崎には今も両親が住んでいるので2人を連れてしょっちゅう帰っています。私にとって川崎は日当たりが良くてポカポカしていてリラックスできる場所。地元を歩いていて「帰ってきてるんだ」と声をかけられたり、仕事場で「私も川崎です」って言われたりするのはとてもうれしいですね。
好きなお店もたくさんあります。夫(元プロ野球選手の片岡治大さん)も「おいしいご飯やさんが多い。東京に行かなくていい」と言っていました。「ピザハウスモッコ」(宮前区)は祖父母の代から娘まで4代にわたってのお気に入り。カリカリの生地に濃厚なチーズが載ったオンリーワンのピザです。
子育てがもう少し落ち着いたら芸能界の仕事を増やしたいですし、ファッション関係の会社やブランドを立ち上げたいなと考えています。
お話があれば大好きな川崎のお仕事を何でもいいからやりたいなとも思っています。
プロフィール
1984年3月6日生まれ。14歳で『おはスタ』マスコットガールとしてデビュー。タレント、女優として活動中。