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かわさきツナガリ
バレーボール選手
塚田しおりさん

かわさきツナガリ  バレーボール選手  塚田しおりさん

今回の「かわさきツナガリ」に登場してもらったのは、バレーボールV1女子・NECレッドロケッツのセッター、塚田しおり選手。現在、10月の開幕に向け、トレーニングを積んでいます。

1994年生まれ。多摩区出身。身長175㎝。2012年インターハイ全国優勝でチームに貢献。2017年4月NECレッドロケッツに入団。

■〝しゃかりき系〟の小学生

 東生田小(多摩区)、生田中、中原区の市立橘高校と、筑波大に入るまでずっと川崎市内で過ごしました。小学校時代はとても元気な子で、休み時間にドッジボールをしたり、縄跳びをしたり。縄跳びは冬に毎朝やっていたので二重跳びなどの技ができるようになりました。体育は、わりとなんでも得意でしたが、水泳は習ったこともなく、我流で25㍍泳げる程度です。

 暗記系の社会や、小1から小4までピアノを習っていたので音楽も得意でした。反対に、図工や美術はアイデアが湧かず苦手でした。

 思い出深いのは運動会です。4年生までリレーの選手。でも、5、6年生の時はぽっちゃりしていて速く走れなくなり外れてしまいました。悔しかったですが、騎馬戦で大将として頑張り、下級生の男子から「大将の人だ」と声を掛けられるほど。応援団にも入り、「応援団賞を取ろう」と張り切る〝しゃかりき系〟の子でした。性格も負けず嫌いでしたね。祖母の家でトランプやじゃんけんで負けても泣くような子でした。

 初恋も小学生の時で、相手は顔のかわいいクラスの人気者。席が隣になれたらいいなと思っていましたが、こういう時は積極的になれませんでした。

■生田緑地に家族で

 休日は家族で近所の生田緑地をよく散歩しました。バレーボールを持って行きパスをしたり、ホタルを見たり、お祭りに行ったり。美術館やプラネタリウムには遠足で行きました。自然豊かなだけでなく、文化的な施設も充実しているいい場所ですよね。今頃になってその価値に気付いています。

 今は時間があると一人で川崎に行き、映画を見てラゾーナでウインドーショッピングをすることが多いです。年末年始などの長期のオフがあるとやはり地元の友達と会いますね。

■母の影響でバレーボールを

 バレーボールとの出会いは物心つく前です。母がママさんバレーのチームに入っていたので、ベビーカーで練習場に連れて行かれていたみたい。小1の時にはボールに触っていました。4年生で小学生を対象にした西三田少女バレーボールクラブに入りました。活動は水曜と日曜だけで、それほどハードではなく楽しく練習できました。

写真提供・塚田しおりさん 小4から西三田少女バレーボールクラブに入団

 その頃からどんどんバレーにのめりこみ、アテネ五輪の予選を録画し繰り返し見て、当時のセッターの竹下佳江さんにあこがれていました。

■必死に練習した中学時代

 中学では吹奏楽部にも体験入部し迷いましたが結局、バレー部に入りました。上下関係の厳しさなどは特になく、バレーに集中し練習できました。2年生からセッターとしてコートに立ちましたがプレッシャーから逃げたくなる時もありました。ですが、当時の顧問の先生が新たに外部からセッターのコーチを連れてきてくれ、つきっきりで指導してもらえたので必死にやりました。母からも「コートに入れなくて悔しい思いをしている子もいるんだよ」と活を入れられ、続けることができました。つらかったですが、今思えば体力も精神力もこの時に培われたと思います。

 部活のほかにも、クラス対抗の合唱コンクールでソプラノのパートリーダーをやったり、学級委員をしたり、体育祭ではリレーの選手として走ったり。小学校も楽しかったですが、中学はもっと充実していました。ただ、後悔したのはバレーボールと両立できないと思い、小4でピアノをやめてしまったこと。合唱祭で本当はピアノの伴奏をしたかったです。今、ピアノは実家に帰った時に弾いています。

写真提供・塚田しおりさん 生田中では小4以来のリレー選手に選出される

■地元のNECレッドロケッツに入団して

 学生時代は実業団のバレーボールの選手になれると思っておらず、学校の先生になろうと考えていました。だから橘高校もスポーツ科ではなく、普通科へ進学しました。

 橘のバレー部は強豪で全国から選ばれた選手が集まってきていました。ほとんど休みがなく、練習はきつかったです。ちょうどセッターの先輩がリベロに転向したので、2年生からセッターとして試合に出られるようになりました。

 3年間、将来は学校の先生、という考えは変わらず教育学部のある大学を考えていたら、筑波大に通っていた先輩から「来てほしい」と言っていただき進学を決めました。

 そして大学時代、実業団なら地元のNECレッドロケッツがいいなと思っていたところ声をかけていただき入団を決めました。

 レッドロケッツは明るく仲の良いチームです。最近は多く試合に出られるようになりましたが、入ってからの4年間はなかなか思うように出られませんでした。心が折れかけ、引退が頭をよぎったこともあります。でも、コロナの自粛期間中、一人で外を走ったり、母に付き合ってもらいオーバーパスの練習をしたり、自分のプレーをビデオで見るうちに、自分自身を見直すことができるようになりました。努力し続ければなんとかなる。簡単にあきらめちゃだめですね。

 今の小中学生たちにも、そのことを伝えたいです。