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かわさきツナガリ
俳優 佐藤藍子さん

かわさきツナガリ  俳優 佐藤藍子さん

今月のかわさきツナガリに登場してもらったのは、俳優として活動しながら、乗馬倶楽部の仕事のサポートもしている幸区出身の佐藤藍子さんです。

生まれ育った幸区に

小学1年生の2学期に成城学園前の社宅から幸区に引っ越してきました。祖父母の代から家があった場所(幸区)に父が新しい家を建てたのです。幼稚園に入る前まで暮らしていた場所でしたし、社宅に住んでいたころも祖父母の家に遊びに行っていたので、帰ってきたという感じ。

社宅はマンションで兄と同じ部屋。嫌ではなかったけれど、新しい家は一軒家で自分の部屋もあるので、うれしかったです。そんなわけで私は川崎市民三代目になります。

7歳。この頃、川崎市へ引っ越してきました=本人提供

初日から給食をおかわり

登校した初日、給食のおいしさに衝撃を受けました。それまで給食は〝食べなきゃいけないもの〟でした。

でも、川崎の学校の給食はめちゃくちゃおいしい。メニューはカレーです。初日でしたが、おかわりをいっぱいしちゃいました。友達もその姿が印象に残ったみたいで、後々「すごく食べてたね」と言われました。パンも地元のパン屋さんが運んでくる焼きたて。本当においしくて母にも話しました。

給食にかかわっていきたかったので3年生からずっと給食委員をやり、栄養士の先生ともよく話しました。

へこんだ顔は見せない

自分が思ったことをはっきり主張する子でした。低学年のころは学校になじんでいたのですが、学年が上がるにつれ、友達や先生と衝突することが増え、目を付けられるように。理解してくれる先生だといいのですが、そうでない先生の時は窮屈でした。通信簿にも「挙手するのはいいけれど、友達との衝突が…」と書かれたこともありました。

大人っぽい顔立ちで愛想も無かったので周囲からは「お高くとまっている」とか、「生意気だ」とか。夏休みの宿題の作品にチョークで落書きされたこともあります。でも、そんなことでしょぼくれる方ではない。相手は私がへこんでいる姿を見たいんだろうと分かっていたし、自分の人生を誰かのせいで駄目にするなんてバカバカしいじゃないですか。

これから人として生きていく限り、いじめはどこにでもある。今、経験できて良かったと思いました。変に正義感も強く、いじめる側には絶対になりたくない、いじめられる側で良かったとも思いました。

当時から中山美穂さんにあこがれ、役者になりたかったので、「悲しいけれどそれを見せない役を演じている」と自分に言い聞かせ、〝一人女優ごっこ〟していました。キャラクターを作ることで、つらさや悲しさをごまかしていたのだと思います。今思えば、演技のいい練習になりました。

母も私と似た性格で、「気にするな」と言ってくれていました。家庭が安心できる場所だったのも良かったと思います。学校から帰り、母と一緒に個人商店が並ぶ商店街を買い物に行くのが楽しかったです。お店の人と話したり、魚屋さんが魚をおろすのを見たりするのが好きでした。

高学年の頃=本人提供

役者を目指して

小学3年生のとき、叔父が隣町で塾を開いたので仲の良かった従妹に会いに行きながら自転車で通うようになりました。

その流れで東京にある短大まで続く私立中学を受験し入学しました。さまざまな地域から集まってきた友達との新しい環境はうれしかったのですが、将来何をしたいかを改めて考えたときにやはり役者を目指したい。そのためのアクションをいつ起こそうかと考え、いつも家族と一緒にテレビで見ていた「美少女コンテスト」を受けてみようと考えるようになりました。

先生から学校が芸能活動禁止と聞き、親には本当に申し訳なかったのですが、私立をやめ中3から地元の公立中学に入り直しました。小学校時代の友達は、3年の初日にいきなり私がいたから驚いたみたいです。「なんで佐藤がいるんだ?」「帰ってきたの」って。みんな大人になっているし2年間の空白も感じ、少し寂しい気がしました。15歳のときに美少女コンテストでグランプリを受賞し、事務所に入り、「夢の入り口に立てた、これからだ」と思いました。

「第6回全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリに=本人提供

20歳で川崎市の選挙ポスターのモデルになった時は、生まれ育った街で、好きな仕事で親孝行ができたと、うれしかったです。

役者仲間と川崎話

今は千葉県で夫の実家が経営する乗馬倶楽部(クラブ)の仕事のサポートもしています。今までと180度違いますが、とても楽しく、役者の仕事と同じくらい好きです。

両親も他県に引っ越したので、川崎は通るだけになりましたが、通ると昔のことを思い出しますし、川崎愛は今もあります。小学生のときに習い事のために2年間、南武線に乗って通った川崎駅は懐かしいですね。オープンしたばかりのアゼリアでウインドーショッピングしたり、ハーゲンダッツのおいしいアイスクリームを食べたり。ハーゲンダッツ、今はコンビニで買えますけれどね。

役者仲間でも川崎に住んでいる人が多く、話が盛り上がります。北部の人が「川崎が好き」って言うと「それは利便性愛でしょ。南部は郷土愛だから」って言ったりして。「好きです かわさき 愛の街」は川崎のソウルソングですよね。

1977年9月26日生まれ。幸区出身。1992年「第6回全日本国民的美少女コンテスト」でグランプリ受賞を機にデビュー。2007年、乗馬インストラクターと結婚。